夢の公衆浴場
入院患者がいるとき、多くの場合、私は付きっ切りで泊まり込む。当たり前だが、翌日は体がべたべたしてくる。
診療中、なんだか気持ちが悪くなることも。
さらに、場合によっては加齢臭が漂い、スタッフたちが露骨に私を蔑視することもある。
仕方がないでしょ。
で、昨日入院明けの私は、昼の休憩時間を利用して銭湯へ行くことにした。
以前、近所の80代の元気なマダムが「とってもいいよ。先生、一度くらいは五色温泉に行っときなさい」と背中を叩いて教えてくれた。
五色。まだ行ったことがない。
北海道にある夢の温泉。
それと同じ名称の銭湯が近くにある。
いやん、うっそでしょ。
【へへへ、五色に行ってくる。はじめてなんだ】
「はいはい。勝手にどうぞ。先生、今日はちゃんと携帯持っててください」
【なに、その言い方。そんなの当たり前じゃないか。ケイタイは携帯するためにあるものであって、不携帯のケイタイはもはや携帯ではない】
「ああ、はじまった。私ツンドラなのでバカは相手にしません。めんどくさいので早く行ってください。しっしっ」
やっぱり、馬鹿にしていたのか・・・薄々気づいていたけど・・・ふん。
スタッフの冷たい視線と小言を背に、私はドアを開け、キーを差し込む。
エンジンを震わす。曇り空の街をゆっくり車で走りだす。
アクセルを踏む。ハンドルを切る。
たぶん今の私はかっこいい。
もう一回、ハンドル切っちゃお。るん。
やがて近づいてきた。思ったより、大きい。
灰色のよどんだ空には「夢の公衆浴場 五色」。看板がでかでかと掲げられている。
中に入ると、思った以上に昭和だ。流れている曲だって、いったいいつの時代だろう。
でも、古いけど清潔。
昼間の時間帯のせいか、客は高齢者がほとんど。牛乳瓶片手のおじいちゃん。ソフトクリームをべろんべろん舐めるおばあちゃん。
椅子には、背もたれに身体を預け、目を閉じたしわくちゃの老御大。腹前で両手を組み、口をぽかんと開けている。
生きているのか、それとも息絶えているのか。
声をかけるべきか、かけぬべきか。
インドのガンジス川のほとりに立ち尽くしたかのごとく、途方に暮れる。
だから。
何も見なかったことにする。
もう一度、呼吸を整えなおそう。令和から昭和へ。ノスタルジックな雰囲気に浸りなおす。タオルを借り、のれんをくぐる。
脱衣所にもおじいちゃんたちがいっぱい。あちらの背中にはサロンパスの跡がいっぱい。こちらの背中にはエレキバンの跡もいっぱい。
同年代はいないのか。
と思ったら、奥にいた。
でも首から肩、臀部の上まで赤や青、緑と色彩豊かな曼荼羅模様の入れ墨がびっしり。
たぶん、この人とは友達にはなれない。昔から努力はきらいだ。
ここでも何も見なかったことにする。こそこそと背後を通り過ぎる。
一体、ここは。
脱ぎながら考えてみる。
わからない
分らないまま、浴場へ。階段をのぼる。湯気で視界が曇っていく。
揺れる視界にも老人たちがいっぱい。洗い場もおじいちゃんがいっぱい。
コロン、カランと桶の音。
夢かうつつか。現実なのか、それともやっぱりあの世なのか。
しわだらけの背中の中を縫うように露天風呂へ向かうと、そこだけは誰もいなかった。
だって・・・寒いから。
湯をかぶり、体を洗う。湯船に、そっと足を踏み入れる。
えっ。な、なんと・・・。絶妙な湯加減。とても気持ちいい。
寒空に一人。両足を遠慮なく伸ばす。
体が温まり、全身の力が抜け、無防備なまでに気持ちがほぐれていく。
曇天を見上げ、ただひたすら独占湯を満喫する。
そっか。ここは夢でもあの世でもない。
ツンドラスタッフもいない、きっと愛と希望に満ちた極楽なのだ。
そう。
これこそまさに夢の公衆浴場。
この感動。この五色。
私はけっして忘れまい。
入院時には利用させてもらおっ。
2020年01月29日 15:20