おっちゃんと呼ばれて
いわゆる、おっちゃんと呼ばれ始めて、月日がだいぶ経つ。犬の散歩中、小さな子供たちに「おじさ~ん」と言われるのは悪い気はしない・・・。
でもね、でもね。
だいぶ前、夜中、仕事から自転車で帰宅途中、警察の方に「そこのおじさん、止まりなさい」と停められた。
これで二回目だ。
相当、怪しく映るのだろうか。
そのころ、刑務所から脱走した大胆不敵な方が、盗んだバイクや自転車で大阪からあっちへこっちへ旅行がてら逃げ回っていたから、状況を考えればわからなくもない。
ようは、どこの誰からみても今の私は本当におじさん、ときには怪しく映るおっさんなんだろうな、ということ。
確か、初めて「おじさん」といわれたのは三十代前半のころだったっか。
今の仕事とはまったく関係がないが、ちょっとした縁があって、時間さえ合えば地方の小学生から高校生くらいまでの子供たちと交流し、写真を撮ったり、そこの施設や団体などについて小さな記事を寄せたり。
あの頃、悲しいことに若い女性には見向きもされなかったけれども、子供には抜群の人気があった。
で、そのころのこと。
いつも通り子供たちに囲まれた。
「うわ、このおじさん、字汚ったねえ」
【おじさん?】
最初はだれのことかわからなかった。
が、周りを見回してもやはり大人は私だけ。
嫌な予感・・・。
案の定、子供たちは増長していき、束になってどんどん私を誹謗・中傷していく。
「なんだよ、これ」
「おっさん、デジタル写真、下手だなあ」
「うわあ、まじひでえ」
「もっとちゃんと俺たち撮ってよ」
「おっさん、ちゃんとかっこよくだよぉ~」
【おっ、お、お前らっ。俺をおっさんだとぉ~】
あまりにも目障りにまとわりつくので、子供たちをいつものごとく【こらぁ~】とおっかけまわしていた。
でもね。でもね・・。
私も子供のころ、十分ひどかった。
人のことなんて、とてもとても。
おこるなんて、とてもとても。
中学時代のバレーボール部。
へたくそだったが、サーブ練習だけはいつもまじめに練習した。
だって向こう岸の女子バレー部のコート。
ザビエルとあだ名された中年教師の、こちらに背中を向けた、そのさん然と輝く頭頂部が的としてあったから。
何よりもまぶしく光り輝く標的へ。
私は友人と競るように無回転サーブをひたすら打ちまくった。
そして当たったら、目をそらして。
くすくす素知らぬ顔で。
帰りにはジュースをおごりあっちゃったりして。
はたまた高校時代。
海への遠足だったか、課外実習だったか。
ふと見ると、港で、一人たたずむ担任教師が。
哀愁を漂わせた、とても無防備な背中だったので、背後から抜き足、差し足、忍び足で、そぉっと、そぉ~っと近づいて、その背中を思いっきり押して。
案の定、おっさんが海面をバシャバシャあがき、アップアップ。
「お前かっ!」
溺れかかった中年教師がコンクリートにしがみつき、全身ずぶぬれ、奇声を発し、鬼の形相で追いかけてきて。
こちらはげらげら笑いながら必死に逃げて回っていたっけ。
帰りのバス。
びしょぬれのため、先生は運転手から座席に座らしてもらえなかった。
ドア横のステップで、四十代のおっさんがまるで叱られた子供のように立たされたまま。
可哀そうに、ずっと手すりを握っていた。
それが可笑しくて可笑しくて。
またげらげら笑っていたら、相当頭にきたらしい。
バスガイドからマイクを奪い、「お前のことは二度と忘れないぞ。一生、忘れないいぞぉ、ぜぇ~ったい忘れないぞぉ」と延々とぶつぶつ。
恨みつらみをお経のように述べていた。
あの時、木魚があればもっと先生を楽しくしてあげたんだけどなぁ~♪。
それでも、あの人は・・・。
次の日には、普段通りに、まったく何事もなかったかのように接してくれた。
愛すべきおっちゃんだったと思う。
今頃、どうしているのだろう。
あの、他の教師から相当の酒好きといわれた、哀愁漂う小さな教師の背中を時々思い出しながら、私は今も三十代のころと同じことを考えている。
あんな寛大なおっちゃんに、今の私はなれているだろうか。
なれるものならば、と思う。
あんな、気の優しくておもろいおっちゃんになっていたい。
本当にそんなんでいい。
ささやかな望みではあるけれど、それはそれで今の私には本望だ。
2020年03月18日 19:58