息子の優しいマッサージ
疲れて家に帰ると、居間で息子がイヤホンをし、スマホを見ながらにやにやしている。勉強もせず、何かよからぬものでも見ているのではないか、おまえ。
学校が休校だとしても、勉強もせず、自堕落な生活を送っているなんていけないぞ。
そんなのはぜったいよ~くないぞぉ。
ここは親として一度注意しておこう。へっへ。
【息子よ。今日もスマホばかりやってただろ。たまにはやるべきことをやりなさい】
「はぁ~ん」
【はぁ~ん? なんだ、その態度は】
「えっ、聞こえないんだけど」
息子がイヤホンをしたまま、スマホから視線を上げ、不機嫌そうに私を見る。
なんという反抗的な目。
一瞬、戸惑う。
でも、ひるんでいる場合ではないぞ。
私にだって、父親としての威厳というものがある。
多少せき込みながら、頑張れと自分の心に言いきかせる。
そうだ、よし。
なんならスマホ以外のなにか他のことをさせてみよう。
【どうだ、息子よ。たまには父の肩でももんでみたらどうだ】
思いつくままに提案してみた。
息子は椅子に座ったまま怪訝そうな顔でなおも私を見ている。
イヤホンを一向に外そうとしない。
お前、私の声が聞こえないのか。
お前には親の思いが届かないのか。
いつからそんな息子になったのだ。
戸惑いながら私は息子の耳からイヤホンを外す。
そして中腰になり、真正面から息子の顔を覗き込むように向き合う。
【息子よ。どうだ。たまには】
「たまにはってなに?」
【だから、敬愛し、尊敬してやまない父の腰をたまにはマッサージでもしたらどうだ】
ふん。
バカにしたように鼻をならし、「あほくせ」と息子は私の手からイヤホンを奪いとった。
また耳にはめる。
「尊敬なんかしてねえし」
【えっ。嘘だろ。お前、照れてる場合か】
「照れてねえし」
【素直じゃないやつめ。正直にいえばよろし。もう一度言う。敬愛し、尊敬してやまない、感謝してもしきれない父親の肩をもめ】
「だから尊敬も敬愛も感謝もしてねえし。ほんま、うぜえな」
な、なんと。
なんという照れ屋なんだ。
素直に認めないなんて。
私もまけてはいられない。イヤホンをぐいと奪い返す。
「なんだよ。勉強の合間に音楽くらい聴いててもいいじゃんか」
【音楽ばっかは良くない】
「音楽ばっかじゃないし」
【じゃ、スマホばっかは良くないし】
「ばっかじゃねえし」
【どうだ。たまには父さんと相撲でもどうだ。で、お前が負けたら肩と腰をもめ】
「なんでだよ」
【なんでだと。当たり前だろ。どうだ、敬愛し、尊敬してやまない、感謝してもしきれない、その背中をいつまでも追い続けたいとどうしても思わせてしまう父親の腰をもめ】
「ああ、うっとうしいなあ」
【とうとうもむ気になったか。尊敬し、敬愛してやまない・・・】
「もう、わかったって。ほんまうぜえな。でも、条件があるから」
【なんだ?】
「父さんが負けたら、5千円くれよ」
【なに? なんで5千円もやらなければいけない】
「ははぁ~ん。もしかして俺に負けるのが怖いんだろ」
【挑発的な奴め。お前、本気でこの偉大な父に勝てると思っているのか】
「なにが偉大だ。胃が大なだけだろ。だいたい父さんこそ俺に勝てると思ってんの?」
偉そうになりやがって。ああ、望むところだ。勝負だ。本気の勝負だ。
だいたい、お前が私に勝てるはずがない。
私を誰だと思っている。父親だぞ、父親。それも胃大じゃない方の偉大な。
お前なんて弱小だ。チキンだ。
ああ、弱小の弱小。キングオブチキンだ。
バンプオブチキンじゃないぞ。
ははは。
不敵に笑い返しながら、たがいに襟首をつかみあい、畳部屋へ移動。
ルールを決め、はっきょいのこった、の合図とともに組み合うと誓う。
中腰になる。
見合って見合ってのにらみ合い。
なんだ、その眼は。
私は許さんぞ。
ぐいと睨み返してやる。
ふん。
宣言は私が言おう。いくぞぉ。
はっきょおーいのこった。
と言ったとたん、息子が一気に突撃。
ふっと目の前で沈み込んで私の視界から消えたかと思ったら、太ももに強烈なタックルが。
布団が吹っ飛んだと思うより先に私がぶっ飛んだ。
気づくと秒殺。
畳に尻もちをつけられたあげく、そのまま息子は私に馬乗りになっている。
私の両手を太ももで締め付けるように馬乗りになった息子はどうだといわんばかりに大胆不敵に私を見下ろして笑っている。
やめろ。どけ。なにをする。
息子は重くて、身動きさえとれない。
足をバタバタするだけ。
息子はヒヒヒと嫌な笑みをうかべている。
「父さん、約束どおり5千円」
馬乗りになりながら、手を出してくる。
【わかった、わかった。やるからそこをどけ。余は苦しいぞ】
「ほんまにくれるな」
【偉大なる父に二言はない。だから早くどけ】
「ほんまに。ほんまにだな。ちゃんとくれるな」
【やるやる】
「そう言って、いつもごまかすだろ」
「しない。しない。たぶんしない」
畳の上で手足をバタバタさせながら、私は必死でいう。
「あっそ。そっちがそういう態度ならさ」
【態度?】
「父さん、お望みとおりマッサージしちゃるわ」
な、なんと。優しいじゃないか。
と思いきや、息子は私の胸に両手を重ねるように当ててきた。
何をする、息子よ。
息子は私を見下ろし、ギャハハと笑う。
どすどすどす。
違う、違う、それはちがーう。
マッサージはマッサージでもそれは心臓マッサージだ。
【おえ、おえっ。やめろ、息子よ。いいか、心臓マッサージは止まった心臓にするものだぞ】
「え~っ。止まってんじゃないの。黙ってな。いま動かしてやっから」
息子はヒヒヒと笑いながら、ドスドスドスを一向にやめてくれない。
へっへっへ。
にたにた笑いながら、ひたすら心臓マッサージを繰り返してくる。
私はただただ【おえおえおえ】
いずれ子は親を追い越すという。
どの親にも訪れる末路だ。
にしても早すぎる。
おまけに私の薄っぺらい財布から5千円もうばいやがって。
なんてひでえ末路なんだ。
もう挑発なんてするもんか。
心臓マッサージを受けながら、私は自分の心臓にそう誓いました。
ふん、だ。
2020年06月04日 21:25