あなたはそこへ行きたいですか?
秋だなぁ。毎日、自転車での通勤中、色づいた葉々の美しさに目を奪われている。
イチョウ、カエデにコナラ。
ユリノキ、サクラ、ナンキンハゼにタイワンフウ…。
本当にきれいだ。
通勤路の街路樹の、なんと色彩豊かなことよ。
そして、その鮮やかな枝葉の隙間に広がる青空。
自転車を漕ぎながら、思う。
あの人は、あの蒼空高くにいるらしい。
今頃、どこを飛んでいるのだろうか。
人が宇宙に飛び立つたびに、息子が私に問うてくる。
「父さん、宇宙に行ってみたい?」
はるか彼方から送られてくる映像に、わくわくした面持ちで。
息子は「行ってみたいか」と何度も私に尋ねてくる。
「ねえ、父さんは?」
「行きたくない」
「なんで? あんなにきれいなのに。宇宙から蒼い地球を見たくはない?」
「うーん。見たくない。テレビで十分」
「無重力は体験したいやろ?」
「うーん。したい。でも、行きたくはない」
「どうして?」
はあ?
どうしてって。
だって怖いもん。
機内で、ぷかぷか泳ぐように移動している姿はたしかに平和で楽しそうだ。
窓に映る地球の姿もたしかにきれいだ。
でも、想像してみてくれ。
何もない真っ暗な空間をお前を乗せた宇宙船が飛んでいるのだ。
なにかあったらどうする?
燃料が尽きたらどうする?
救急車もパトカーも消防車も来てくれない。
セコムなんてなおさらだ。
JAFだって回収に来ないだろう。
大体、金属の重たい機体が宇宙を飛んでいること自体、どうしてもなっとくできない。
いまだに飛行機に不安を覚える。
乗るのなんてなおさら苦手だ。
ましてや、さらに重たい機体が大気圏外に放り出されたようにぐるぐる回っている。
道理的におかしいだろ。
まあ、それが科学なのだが…。
いやいや、それだけじゃないな。
まだまだ嫌な理由はたくさんある。
帰還するまで、狭い空間にずっと閉じ込められっぱなし。
そこから一歩も外に出られない。
機内で毎日顔を合わせる人も一緒。
想像するだけで窮屈そうだ。
シェルターに閉じ込められたような、何とも言えない息苦しさを覚える。
やっぱり野口さんのように選抜された人間じゃなければ…。
あんな卓越した人間性がなければ、とてもじゃないが無理だろう。
でなければ、あんな狭い空間でクルー同士仲良くやっていけないはずだ。
相当すごい訓練がいるだろうし、とんでもない能力も、とてつもない知力も、びっくりするくらいの体力も求められる。
ないない。
私にはそんなものない。
狭い空間でうまくやっていける協調性なんてまるでない。
忍耐力なんてもってのほか。
そう。
あの人たちは選ばれたひとたちなのだ。
そして私は一生選ばれることはない人間なのだ。
さらに…。
たとえ、月に到着しても、毎日毎日、宇宙服来て、宇宙食たべて、クレーターの脇で何をすればいいんだ。
餅をついている伝説のウサギも、ちょきちょきしたカニもそこにはたぶんいない。
生き物がいないということは、いわばそこに誰もいないということ。
いやいやそれだけじゃないぞ。
浮遊の散歩中、尿意や便意をしたくなったらどうする。
「オレ、あのクレーターの真ん中でちょっと用を足してくるわ」
なんて言うのか。
電信柱もないぞ。
犬のジョンだって戸惑うと思う。
おまけに立ちションがてら、宇宙服のジッパーを下ろしたら終わりだ。
あばよ。
そういうこと。
すぐに飽きる。
売店もない。
ダメ虎恋しさにデイリー読みたくなったらどうする?
アツアツのタコ焼き喰いたくなったら、どうする?
な、そうだろ。
考えてみれば、庄内駅近くのここの、なんてすてきなことよ。
「どんどん」も「ひさご」も「たこしょう」もある。
ほかにもなんでもあるぞ。
まあその分、パチンコ屋ばかりで、酔っ払いも多いし、治安も悪いけどさ…。
でも、きっとお巡りさんがすっ飛んできてくれるさ。
「やっぱり、いややな」
「でも、父さん、考えてみ。そんな一生いるわけやないんやで。ちょっとだけ、それもただで行かせてもらえるんやったら行きたいやろ」
「いや。ここで十分」
「ふーん。つまんない人間だな」
ええ、ええ。
どうせ、私はつまんない人間です。
とてつもなく、退屈な父親ですぅ。
そこのアスファルトに、ぽつんと落ちたタバコだよ。
あんな、くしゃくしゃに踏みつぶされた吸殻くらい、私は面白みがありませ~ん。
だいたい昔から、おもろいことなど何一つ言えない、とても真面目な人間だったんだ。
そうやって何十年もよそ様からバカにされて生きてきた人間なんだ。
そして、それでもなお、今もさんざんに息子にバカにされながら、一人ぼやいている人間なんです。
そうは言ってみても…。
「行きたくない」のは本当に私だけだろうか。
私の考えがずれているのか。
ためしに、うちのスタッフにも聞いてみた。
「あのさ、宇宙に行ってみたい?」
すると、二人とも「行きたいですぅ~」ととたんに目を輝かせた。
なんという、うるうるとした瞳。
ウキウキ、ルンルンしてる。
まるで目の前に超イケメンが現れたような…。
なあ、君たちさ。
たまには私に対してもそういう視線を向けたらどうだい?
まあ、ねぇ~わな。
冴えないおっさんや。
いつものように不貞腐れとこっ。
ふん。
「で、なんで?」
「だって、行けるなら行ってみたいじゃないですか?」
「ふーん」
その魅力が私にはわからないんだけど。
「先生は、きっと現実的に考えているんですよ」
現実的?
「だって不安が先に浮かんでくるんでしょ。現実を考えたら危ない行動をしたいとは思わないもんですよ」
うーん。確かにそうかもしれないな。
まだまだあのアホを食わせていかないといけないしな。
現実を考えたら、あいつみたいに、口をポカーンと開けて、画面に映るきれいな地球を、えへへとよだれ垂らして眺めている場合じゃないんだ。
宇宙空間でとんでもない事故があったらどうすんだ。
どうやって私はあのアホを養っていけばいいのだ。
そんなことをとりとめなく考えていたら、蒼い地球の映像も、あの宇宙空間の神秘的な光景も一度くらいナマでみたいとは思えない。
配信で十分だ。
でもな。
それだけでもないな。
だって、もし仮に、だ。
私にも、あの前澤さんのように大変な余裕ある大金持ちであったとしたら…。
私は、あんな風に大枚をはたいて宇宙への切符を買う人間だろうか。
うーん。
ないな。
やっぱ買わない。
宇宙、怖いもん。
わざわざ怖い思いして、異空間から地球を見てみたいなんてやっぱり思わない。
そういうことなんだ。
冒険をしたい。好奇心が旺盛。なんでも見てみたい…。
そういった心の若さは今の私にはないらしい。
古い人間にどんどんなりつつある。
時代からどんどん取り残されていく。
それくらい今は本当にすごい時代なんだ。
今回の旅立ちが商用船開発の第一歩となるらしく、となると今後、さらに多くの人類が宇宙へ旅立っていくことになるのだろう。
それに伴走するかのように、AIやITを導入した技術開発もどんどん加速していき、時と空間というあらゆる距離がどんどん縮まっていく。
ああ。
なんてこった、パンナコッタ。
困ったもんだ、みのもんた。
幼い頃、黒電話のダイヤルを回していた私には、もはや、すでにこの現代に対して隔世の感さえ覚えてしまう。
現代はどんどん加速していく。
それとともに私はどんどん置いて行かれる。
道端に生えた雑草みたいだ。
いま、先端を走っている人たちは、どんな思いで駆け抜けているのだろう。
時代のど真ん中を、どれほどの勢いで、どんな息遣いで走り続けているのだろうか。
きっと。
とてつもなく、すごいはずだ。
一心不乱だろう。
周りなんて目もくれず、本当に必死だろう。
とてもじゃないが、私みたいな人間が一緒にへいへいとついていける速度ではなさそうだ。
すでに遅れをとったマラソンランナー…。
前を走る集団はどんどん遠のき、その後ろ姿をガードレールにしがみついて、ぜえぜえ息切れしながら涙目で見つめている…。
そうだろうな。
全速で前を駆けていくウサギから見れば、きっと私はのろまなカメなんだろう。
やはり想像するのは難しくない。
だからなおさら。
もう無理をしたくない。
若い頃のように、必死で目の前の人間に喰らい付いていこうなんて、もう二度と思わない。
たとえ、のろまなやつらめ。
惨めだな。
じゃまなんだよ。
と吐き捨てられようが。
気付いたら、姥捨て山に捨て置かれた老人のように。
背中を丸め、小さく、頼りなく…。
まるで、道東の、砂洲に突き刺さったように枯れ果てたトドワラのように。
この世の終わりのような光景に、ぽつんと取り残された遺物として、彼らの瞳に映ろうと。
果たして、ウサギたちの目にこのカメはどう映るのだろうか。
どうであろうと、願わくば、このまま平和の象徴として、宇宙開発が平穏に進めんでくれればいい…。
加速する時代も、混迷する世界も、平和へとしっかり舵取りをしてくれればいい。
でも、やはりそれは人間が行うことなので、必ず欲が絡み、すこしずつ軋みが生じてくる気がする。
平和な宇宙利用なんてきっとうまくいかないのだろうし…。
ならば。
ウサギたちよ。
だれかれ構わず、遠慮もなく、バサバサと木々をなぎ倒すように時代を切り開いていくあなたたちのことだ。
たまには、ふと息抜きがてら、我に返って、全力で走ってきた道を振り返ってみてくれないか。
今いる場所は、幸せか。
平和な場所か。
住みやすい場所になっているのか。
だって、人類があれほど夢に希望を描いた未知の世界や時代へ、あなたたちは我先へと突入していくのだ。
なにがあるのかわからぬ果てしない未知の宇宙へと、あなたたちはこれからどんどん旅立っていくのだ。
ならば、目先の欲だけでなく、後進の、誰にとっても安らかな道を切り拓いていってほしい。
いや、まさか…。
そんなことはあるまい…。
ウサギさんたち。
もしかして、あの遠い宇宙空間から、この蒼い地球を、憧憬として、茫然と口を開けて眺めていることにはなっていまいか…。
そのころには、時代の変遷とともに、左遷や流刑を意味する「島流し」という言葉が、いつのまにか「月流し」という言葉に生まれ変わっていないか…。
「あいつ、月に流されたんだって」
「ええっ。まじでぇ」
「信じられんな。あんなに颯爽と、かっこよく前を走ってたやん」
「しゃあねえって。欲ばかりむき出しにしてたもん」
「ほんまかぁ…。涙の片道切符か…」
「お気の毒なこってぇ……。見な。あいつ、暇そうに、いまあそこで餅つきしてらぁ」
満月を眺めながら、団子をむしゃむしゃ、またつまむ。
取り残されたカメたちが宙を見上げ、そんなことを公園ベンチで話している。
そういう時代になっていないことを、ただただ祈りたい。
ひがみかな。
そうかもね。
でも、やっぱ私はお気楽ランナー。
目の前のことを一つずつ、自分のペースで、ゆっくり片付けながら歩いていく人間の側だと思う。
若いころのように、他人の目や、体裁ばかりを気にして、己の心に負担をかける無理はもうしない。
ごめん、息子よ。
やっぱり私は、そういうつまらぬ人間らしい。
2020年11月21日 14:09