あなたのために祈る人
不思議な印象だった。広島の、一夫婦が行った選挙違反の記事を読んで。
夫は嘘を重ね続け、裁判では買収の事実をなかなか認めなかった。
なのに、一転。
先日、これ以上争わないことを認め、かつ議員辞職をした。
少なからず驚く。
コメントがとりわけ心に残ったからか。
「最終的に神の前で誠実であることが‥‥」
夫は、長年付き合いのあるカトリック神父に導かれ、事実を認めるに至ったという。
彼を指導したその神父は、電話で、毎日、その夫婦のために祈っていたことを告げたらしい。
同じ党に所属した、同じ議員の立場でも、こちらはずいぶん趣が異なる。
カジノを含むIR汚職で逮捕された男だ。
検察側と全面対決。
収賄を否認し、今後も企業側から現金は受け取っていない、と無罪を主張し続けるらしい。
真実は知らない。
でも、なぜか受け止める側としての印象が異なる。
両者の違いを考える。
そそのかす者はいても、祈ってくれる人がいた。
そそのかす者はいても、祈ってくれる人はいなかった。
救いがいのある人間と救いようのない人間…。
祈りとは、遠くで受け止める側に、これほどまで違う印象を与えるものらしい。
私には未だ信仰するものがない。
なのに、なぜに余韻が胸に残る。
その存在のありがたさゆえ。
強く、深く、重く。
2021年04月08日 20:58