皇帝ダリア
いよいよ、冬到来か。
今週末には今年最強の寒気が襲ってくるらしい。
そうだよな。
低く垂れ込めたどんよりとした雲が、すぐ頭上に迫っている。
早朝、自転車を漕いでいると、冷気に肌がキリリと痛い。
そんな通勤途中のこと。
巨大な市営団地のすぐ脇の花壇で、皇帝ダリアが咲き誇っていた。
どんよりとした空に、今年もだ。
これでもかとばかりに、光を放っている。
凛と咲き誇るその姿は、毎年のこと。
周囲を圧倒するかのようだ。
冬枯れした花壇に、でんと居座るような佇まい。
節くれだった細い茎が、ぐんと真っ直ぐ天に向かって伸びている。
紫花を宙に高く掲げるその姿は、圧倒的で、周囲への遠慮などまるでない。
地味で、控え目で、しみじみとしていて、可憐で……。
そんな日本の花を想起するような形容などまるで当てはまらない。
いつ見ても私の目には異質に映る。
調べてみるとメキシコ原産とのこと。
よかった、よかった。
団地の花壇の、そんな小さな展示場で、外国由来のあなたは大事に育てられているのだから。
でもね。
外来の異質性が、全て受け入れられるわけでもないんだ。
この前はテレビで見たっけ。
特集番組だった。
淀川に生息するアリゲーターガーという外来魚の駆除。
鋭い牙と獰猛な顔だち。
剥き出しにされた歯牙であらゆる小さな種を次々と食いちぎり、呑み込んでいく。
捕獲までの間、そんなおぞましさや野蛮さをことさら誇張させた字幕が続いた。
本当なのだろうか。
本当にアリゲーターガーやブラックバスは、日本古来種を食い尽くしている、ただ野蛮なだけの生き物なのだろうか。
彼らも好んでこの国に連れてこられたわけではないはず。
鑑賞やら格好の釣魚として放流されたあげく、気づけば駆逐の対象となっている。
番組では、釣り上げられた魚たちが戦利品のように、土手にずらりと並べられていた。
アスファルトの上に横たわった彼らは、一様に眼をガッと見開き、口をパクパクさせている。
「いい迷惑だ。生きて何が悪いんだよ。」
もしや、そう抗議しているのではないか。
美しく凛と咲き誇る外来花は、花壇という小さな展示場で、手入れをされ、丁重に扱われる。
一方で、獰猛で醜悪な顔をした外来魚は、どんなに悠然と泳ごうと、圧倒的に露悪な存在として扱われる。
植物や魚だけ?
いいや、そんなことはない。
介護や農業の研修生とした来日した外国人がコロナ禍で職を失い、集団生活を余儀されているらしい。
狭い部屋に寄り合い、集団で途方にくれる姿があまりにも痛ましく映った。
同じ人間なのに、異国では同じ扱いを受けることができないとは。
本来、必要な人材として海外から呼び寄せられたはずが、今ではお荷物のように扱われている。
固有や古来という枠組みから外され、外来異種として見なされた存在は、この国では捨て駒にされ、いや、それどころか、時には何をしでかすかわからない、異質で、犯罪者のように後ろ指をさされることもある。
彼ら彼女たちも、本来なら、あの美しいダリアのようにこの異国で咲き誇るチャンスがあったはず。
期待に胸を膨らませ、笑顔で、楽しく仕事をすることを望んでいたことだろう。
それをアリゲーターガーのように、腫れ物として、時には害を及ぼす存在として我々は扱っている。
立場が変わった時、自分たちが異国で同じような扱いをされたら我々日本人はどう思うのだろうか。
流動が激しいこの時代。
今さら、固有種をことさら大事にするガラパゴス諸島のようにでもなるつもりか。
苦しんでいる者たちを脇へ追いやるのが得策なのか。
そして、それはこの島国が頑迷に持ち続ける固有の閉鎖性から来るものなのか。
どんよりとした空。
冬めいた景色が、暗くもたげるように目の前で広がっている。
そんな深く沈みこんだ景色に、凛と開花する外国由来の紫花は、何かを訴えているようにさえ映る。
心はやはり晴れない。
生きている限り、どんな小さな徒花であろうが、笑顔で気持ちよく咲いてみたいことだろう。
たとえ、異国の空が、どんなにどんよりと曇っていようが。
なあ、そうだろ。