うそっ、鶴屋八幡さんって…。
ちょっと前の休日。千里中央の本屋へ行った。
ついでだ。
久しぶりにデパートの地下街へと足をのばす。
御座候が食べたくなったから…。
あの、姫路が生んだ、うまくて安い回転焼きを…。
へへへ。
さらについでだ。
隣の551蓬莱にも顔を出す。
息子の好きな豚まんも購入しよっ…。
と思った途端、ふと病院の近所に住む90代のおばあちゃんの顔が脳裏に浮かんだ。
そういや、あのおばあちゃん、和菓子が好きだと言ってたな…。
この頃、おばあちゃん、元気がない。
私と会うたびに「私な、体は元気やけど、最近耳が遠くなって困ってるんよ」。
いつもそう言って愚痴をこぼす。
会話も耳元だ。
けど、同じことを何度言っても、なかなかこちらの発言は伝わらない。
聞き取れず、おばあさんはなんだかもどかしそう。
そりゃ、元気も出んわな。
だって、去年までは聞こえんでもええことまで、よう聞こえてはったもん。
そんなおばあさん、このごろ、ほんまに山口さんちのツトムくんみたいにみえる・・・。
あかんあかん。
こんなたとえ、若い人にはわからへんな…。
ま、ええわ。
よし、決めた。
和菓子でも買ってたろ。
551やめや。
で、何にしようかな。
歩きながら、いくつかの和菓子屋店舗の商品を見比べていると、鶴屋八幡の店員さんに声をかけられた。
「何をお探しですか?」
「日持ちして、あんこで美味しそうなやつ」
「なら、これなんかええんとちゃいます?」
と指さして教えてもらったのは、鶴屋八幡のもなか。
「美味しいですよ。うちのは百楽って言います」
おお。
これならええやん。
わしも食いたいし。
じゃ、ちょうだいするわ。
別々の袋にいれてくれる?
って後日、百楽持って、おばあちゃんのところへ。
「これ、いります?」
「何、それ」
私の手にある白い袋を見て、おばあさんは首をかしげた。
「もなかです」
「はあ?」
聞こえんか。
すんません。
じゃ、失礼して、耳元で声を張り上げまっせ。
「も・な・か」
その途端、おばあさんの顔が急に明るくなった。
「先生、ありがとな。わたしな、これ大好きやねん」
「そうですか。よかったよかった」
袋ごと渡しながら、昨日初めて知ったことをふと口にした。
「そういや、鶴屋八幡さんの本店って、今堀にあるんですね」
「へ?」
「今堀」
「はあ?」
「僕、八幡っていうくらいだから滋賀の近江八幡に本店があるもんだと勝手に思ってました」
「はあ?」
そう言った途端、おばあさんの眉がわずかにグネっと歪んだようにみえた。
なんだか怪訝そうだ。
聞こえんのかな。
よし。
もう一回、声を張り上げたろ。
「鶴屋さんの本店って今堀にあるんですね」
耳元に近づき、マスク越しから声を張り上げる。
でも、おばあさんの顔は曇ったまま。
口をぐっと閉じ、押し黙ったまま、つぶらな瞳でこちらをじっと疑い深そうに見ている。
まだ聞こえんかいな。
しゃーないな。
「今堀が本店ですって」
私はもう一度繰り返した。
「嘘やろ」
「いいえ」
「ほんまか?」
「ほんまですって」
「そなアホな…」
そう呟くと、また口を閉じた。
明らかに疑っている目だった。
なんでそんな疑うの?
「ほんまですって。今堀が本店ですって」
「はあ? そんなんぜったい嘘やわ…」
「いいえ、店員さんがそう言ってましたもん」
おばあさんは、しばし黙りこむ。
こちらを見る目は、なんとも言えない、悲しさも混じっているようにも見えた。
「…ほんまか? ほんまにほんまか」
「はい。ほんまです」
私はもう一度うなづく。
「へえ。そうなんか…」
そういうと、おばあさんはうつむき、ポツリと地面に吐き捨てるように、つぶやいた。
「本店、ナポリやったんか…」
えっ。
驚いた私をよそに、おばあさんはくるりと私に背を向ける。
「わたし、知らへんかったわ…」
そう言い残すと、袋を抱えて私からさっさと離れていく。
「ちょ、ちょっと待って…」
慌てて小さな丸まった背中に声をかけるも、私に訂正する暇もくれない。
おばあさんはそのままサンダルを土間で脱ぎ捨てると、逃げるようにそそくさと家の中へ入っていってしまった。
あかん。
どうしよ。
私は否定することもできず、しばらく道端に呆然と佇むしかなかった。
ほんま、どうしよ。
わし、いらんこと言ってもうた…。
帰り道、なんとも言えない気持ちを抱えたまま。
反省しながら、自転車で夜道を急ぐ。
途中、セブンイレブンの前を通りすぎると、店の前で、イタリアンフェアと書かれた幟の文字が大きく踊っていた。
ま、まさか…。
ああ、わかっているさ。
いくら天下のセブンイレブンでもそんな都合の良いことを私とおばあさんのためにしてくれるはずはなかろう。
だってだ。
鶴屋八幡だぞ。
イタリアンフェアにあるわけなかろう…。
だってナポリじゃないもん。
今堀だもん。
そうだもん。
和菓子だもん。
そうわかってはいても、どうしても否定したくなる。
あかん。
もう、気になって気になってしゃーないわ。
自転車で何度もぐるぐる店の前を行き来を繰り返し、やっぱり決めた。
寄ったろ。
鍵をかけ、レジを通り過ぎ、イタリアンフェアの棚を探した。
そして、なんと。
おおおおっ。
あるやん。
嘘やろ。
あるぞ…。
鶴屋八幡の百楽がこんなイタリア軍団のど真ん中に…。
……んなことあるわけないないということを、嫌というほど何度も何度もしかと確認して、渋々ため息つきながら店を後にしました。
さすが天下のセブンイレブン。
嘘つかねぇな。
で、私は…。
あれからもおばあさんと気まずいまま。
おばあさんは私の姿を見ると、ニコッと悲しげな笑みを浮かべ、そそくさ、スタスタ逃げていく。
その丸まった背中に向かって「待って!」と声を張り上げるもおばあさんには届かない。
もはや私の声は聞こえないのだろうか。
それとも聞きたくないだけなのだろうか。
なんとか誤解を解きたいのだけど…。
そう願って、はや一ヶ月近く経ちました。
今日もです。
「おばあさん! ちょっと!」
声をかけても、おばあさんは聞こえないふりをして、サンダルで、スタスタスタと逃げていく。
皆様、気付いていられたでしょうか。
実は、最近、毎日毎日、こんな熱い熱いやりとりが、当院の近くで繰り返されていたことを・・・。
今年は、とりわけバカみたいに暑い暑いバトルの夏となりそうです。
もう熱中症で頭がほんまのバカバカになりそうです。
願わくば、おばあちゃんがまえみたいに戻ってくれへんやろか。
おばあちゃんの耳が、半年前みたいに、また聞こえんでもええことまでちゃんと聞こえるようになってくれへんやろうか。
そうなったらどんなにありがたいか。
でも無理やろうな。
それなら、鶴屋八幡さんで構いませんわ。
どうか本店をナポリに変えてください。
じゃないと私、もう、ほんまに頭がどうかなってしまいそうです。
ぱかぱか言うてます。
ま、どちらも無理だとわかってはおりますけどね…。
へへ。
2022年06月30日 14:42