ゆりの木動物病院|阪急庄内駅すぐ近く|大阪府豊中市

阪急宝塚線・庄内駅3分、犬・猫を診る動物病院です。

お目よごしですが・・・。

阪急電車アナザーストーリー

「ちょっと聞いてくださいよ」
朝、病院に来るなり、ツンドラさんがおかしそうに話しかけてくる。
「どうしたの?」
「昨日の帰りの電車で、受験生と乗り合わせたんですよ」
「それがどうしたん?」
「その女子中学生たちの会話がもうおかしくておかしくて…」
ツンドラさんによれば、どうやらそれは私立高校の受験帰りらしい。
女の子三人組の会話のようだ。
まとめるとこんな具合。
A「なあなあ、試験どうやった?」
B「難しかった…」
C「私も…」
A「そうなん。私はまあまあできた気がする」
C「ええ~。いいなあ」
B「なあなあ。ところであの社会の答えってなに?北欧のやつ」
C「あれ、リアス式海岸でしょ」
A「ええ、違うよ」
B「そうやよなぁ。あれ、フィヨルドやよなぁ」
C「ああ、フィヨルドか。そういや、習ったなぁ。私、間違えちゃった」
A「えっ。ほんまに。ほんまにフィヨルドなん…」
B「そうやで。フィヨルドや」
A「えっ、ほんまにほんま?」
B「そうやで。リアス式海岸ちゃうよ」
A「えっ、私、リアス式なんて書かへん。ちがうの書いた…」
B「何て書いたん?」
A「マリフ×ナ」
B・C「えっ…」
A「私、自信もって書いたんたんだけど。そっか…違うんだぁ」
B・C「・・・」
A「ちょっと、あんたら、なんで、そんな顔して私を見んの」
B「いや、だって…」
A「だってってなに?」
C「だから…あんた、それ‥‥絶対書いちゃあかんやつやで」
A「えっ、書いちゃあかんやつ? なにそれ。じゃ、マ×ファナって一体なんなん?」
B・C「だから、ぜったい書いちゃあかんやつ。使ってもあかんやつ」
A「えっ、使っちゃあかんやつ? ちょっと待って。なによ、それ。教えてよ」
B・C「だから‥‥使ってあかんやつやて。こんなとこで言えへん」
A「ちょっと待ってよ。なんでマリ◇ァナって言っちゃあかんの?」
B・C「もうっ。○○ちゃん、大声ださんといて」
A「なんで、なんで。ちょっと二人とも教えてよ。マリファ☆って一体なんなん?」
B「だからこんなとこで大声ださんといて。絶対それ、大声で言っちゃあかんやつなんやからっ!」
C「そうやで。誘われても興味本位で買っちゃあかんって学校で習ったやん」
A「えっ、なにそれ。言っても書いても使っても買ってもあかんやつってなに? 私、なにやらかしたん?」
Aさんはますます混乱し、「なんで?なんで?」と騒ぎだし、BさんもCさんも大慌てだったらしい。
聞きながら、ツンドラを含め、乗り合わせた人たちも俯いて、必死で笑いをこらえていたようだ。
そんな、視線をそらしている乗客の反応がことさらおかしくて、ツンドラはほんまどうしようか困ったとのこと。

そりゃ、そうやろな。
こんなおもろいことあるかい。
乗り合わせたあんたらだけやないで。
きっと採点者も赤ペン片手に、おもろうておもろうて笑い転げてたやろな。
採点後のビール、格別にうまかったやろう。
ワシやったら、ぜったい花丸やるな。
ああ、羨ましい。
わしも一緒に乗り合わせたかったな。
こうやって人は誤りを学んでいくのだと思うと、ほんまおかしくてたまらんな。
ほんま使わなければええんやで。知らんで口に出すくらいは罪やあらへん。
ほんま阪急電車はええで。
いつ乗っても、なんかええからな。
 

2021年02月23日 14:31

今年も梅が咲きました。

マスクをしての通勤にもだいぶ慣れた。
当初、眼鏡が曇ったり、マスク姿で自転車に乗るのは息苦しいと思っていたが、慣れてしまえばそれほどでも。
冷たい外気をのどに吸い込んで、気管を痛めるより、案外マスクした方が、のどの調子もすこぶるよい。
不便だ、不便だ、と一概に文句ばかり並べる必要もなさそうだ。
意識の持ち方さえ変えれば、なんだって適応できる。
コロナに振り回され、行動が制限された一年だったけど、振り返れば、他にも気づきはいろいろとあった。
たとえば。
家の中でできることが案外多いこと。
外出もできず、休日に在宅をよぎなくされても、できることはたくさんあった。
だって、おかげで仕事の勉強をする時間が増えた。
夜、店が早めに閉まることを嘆いて戸惑うこともあったけど、そんなこと今となっては別に。
昔はこんな風にどこの店も早くしまっていたな、と懐かしく回顧することも増えた。
そうそう。
考え方しだい。
不便さの中でも、ネット空間で買い物もすめば、会話もできる。
接触という、互いの体温を感じられるような体験は確かに減ったけれど、それにより、未知の経験も広がった。
デジタル社会に適応する機会が増えたとでも思えばいい。
おかげで、幸か不幸か、もたもたしていたパラダイムシフトが一気に加速されたのだし。
考え方は変えてみるもんだ。
そうそう。
何も人間だけが、この世界に生きているわけではない。
今回のウイルス騒動も、もしかしたら必然的に起きたことなのかもしれない。
日々、破壊されていく環境に、生物たちが本能的に抵抗しだしたとか。
傲慢な人間の生き方に異を唱えるかのように、宿主を変え、新たな生息域をみつけようと、ウイルスたちが反旗ののろしをあげたとか。
いやいや。
彼らも生き延びるために、加速度的に進む、人間中心の世界に適応しようとしているのかもしれない。
そういえば、昔、なにをもって命とみなすかと聞いたことがある。
生命とは、繁殖もしくは自己増殖できるもの。
それが生き物であることの証なのだと。
時代も環境も変わる。
生き延びるために、意識を変え、生き方を変える。
本能的な増殖欲求のために、変異を繰り返し、生息可能な地域を広げていく。
この世のあらゆる種は、そうやってこの社会環境に適応し、生き延びてきたんだろう。
世の中は厳しいから。
適応できないとすぐに置いてきぼりにされる。

おやおや、ところがどうだ。
相も変わらず、かわりゆく社会に適応しようとせず、我が物顔で突き進もうとする輩がまだまだ、たくさんいることいること。
プライドばかり高くて、聞く耳なんてまったく持たず。
失言しては口先だけで撤回し、己の性根や考えを改めようとしない。
自分が正しいと頑なに突き通す、ひどく扱いにくい人たちが。
俺こそ絶対だ。
お前らは俺の言うことだけ聞いておけ。
さもないとわかっているだろうな。
そんな人間に、いつまでもぺこぺこ頭をさげて追従する取り巻きたちがいるから、彼らは相も変わらず我が物顔で生きていく。
ばかばかしい。
いつまで、そんな人間にへいへいこびへつらっているんだ。
汲々としがみつくことは、ほんとの適応じゃない。
心の自滅だ。

大丈夫、怖がらなくて。
彼らを、今いるその場所にそっと置きざりにしても、だれも困りはしない。
SNSのこの時代、わざわざ自ら手を下す必要もないのだ。
そのまま、そこに放っておけば、彼らは焼き討ちにあったごとく、デジタル一揆でまたたく間に炎上していく。
そうそう。
燃え上がる炎を黙って見つめていよう。
いずれ黒焦げになる屍を、そのままそこにそっと打ち捨てて、一人、また一人と背中を向けて立ち去ればいい。
忠誠を誓って、一緒に火あぶりにされる必要はない。

ほんま大丈夫だって。
怖がらなくて。
いつだって、新たな希望の主が、私たちの目の前に生まれる。
必ずや次の時代は拓ける。
怖くて、誰かにしがみつきたければ、今度はそこに付いていけばいい。
新たなる宿主も、寄生木も、探せばこの世に山とある。
ウイルスのごとく巧みに、あちらこちらをうまく渡り歩きしながら、生き抜いていく。
時代は変わっていく。
意識も変わっていく。
そうやって生物は多様性を身につけ、適応する。
生きたいと心が欲する方向へ、絶えずもがきながら、曲がりに曲がって生きていく。

ただし、道は踏み外すなかれ。
変えてはいけないものもあるから。
今年もきれいな梅が咲いた。
目に映る、小さく美しき事象はそのまま大切に。
でも、それは、きっとこれからの人間の振る舞いにかかっていく。
ならば、まずは隗から。
他人の心を変えることはできないが、己の意識は変えられる。
我がこととして、醜い行いを改め、足元を見直し、行いを糺す。
ただ難しきは、自分にそれをできるかだ。



 
2021年02月08日 16:59

息子と私の大学入学共通テスト

先日、息子が今年から新しく始まる大学入学共通テストを受けた。
コロナ禍下での新たな試験制度について、ニュースでもいろいろ話題になったあれ。
息子が受験する身としては、せめてこの時期の実施は、健康のためにも延期、もしくは大学入学時期を変更していただければと願っていたが、決まってしまったことは仕方ない。
せめて気持ちよく送り出してやろう。
その息子。
前日まで、緊張のかけらもない。
相も変わらず、携帯見てへらへらしている。
まあ、そりゃ、いままで全力で勉強頑張ってきたわけでないからな。
と、半分あきらめムードで息子を眺めていたが、第一日目。
受験して、さすがにへこんだらしい。
相当、難しかったようだ。
そりゃそうだろうよ。
だって、お前ぜんぜん勉強してねえもん。
と思いつつも、その言葉をそっと飲み込む。
「で、どうだった?」
早々に出た模範回答を見ながら、文系科目の答え合わせを終えた息子に聞く。
「は~あ、まったくあかんわ…」
頭抱えて、いっちょ前にため息をついている。
「そんなに難しかったのか」
「いままでの共通テストとパターンが全然違うもん。試行試験とも全然違った」
「ふう~ん」
「すんげえ頭を使ったから、もう脳みそパンパン」
「ぱんぱんって、中身、あったのか。ただの空気だろ。膨張しただけちゃうか」
「うるせえ」
「風船かっ!」
「うるせえ」
いっちょ前に怒ってる。
これ以上、機嫌を悪くさせてもいけない。
「ごめん。ごめん」
明日は、親らしく励まして送り出してやろう。
で、第二日目。
出かける際、リュック背負った息子はそれなりに神妙な顔をしていた。
そりゃ大変だわな。受験だもん。
ここは、父として、しっかり励まそう。
「とにかく頑張れ」
「わかってるって」
「持ってる力は出し切れよ」
「うん。頑張るわ」
「そして、もしもだ」
「もしも?」
「万が一にだ」
「えっ、万が一にも?」
「そうだ。どうしても難問題に心が折れそうになったら、父の顔を思い出すがいい」
「はあ?」
一瞬、息子は真顔で私を見た後、突然、破顔して大爆笑。
私を指さし、げらげら笑い、「ほんまのアホやっ!」。
そう言い捨てて、玄関を勢いよくバーン。
なぜだ。
私はなにを間違えた…。
もしや、息子の実力だけでなく、親の器までをも露呈させてしまう…。
それが大学入学共通テストだとしたら‥‥‥。
ああ、おそるべし‥‥‥。
新テスト、来年も侮るなかれ。
 
2021年01月20日 15:47

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
皆様は、新しい年をどのように迎えられたでしょうか。
コロナ禍は収まらず、帰省も参拝もままならず。
ひたすら新春恒例のテレビ番組を見て過ごす。
そんな正月だったかもしれません。
私も、年末まで継続診療の方々を診て、最後の日は年越しそばを食べながら紅白を見る。
そしてゆく年くる年で新春を迎えるという、いつも通りの年またぎをしました。
そして迎えた元旦は…。
やはり外出はできるだけ控えたい。
かといって、これといってすることもなし。
いつもなら近くの神社へ参拝へ。
でも今年はやめましょうか。
で、どうしまひょ?
とりあえずポストに入っていた新聞を取り、新春のテレビ欄でもチェックするかとでも思っていたら、まあ今年もしっかり初売り広告がたくさん入っている。
買い物に行くのはいやだな。
と、ぼやきながら何気なく近くの大型店舗の広告を見ていたら、学習チェアがかなりのお得な値段ででていた。
息子が使っているのは私が二十年ほど前に購入したお古。
もうボロボロになり、圧力調整部が壊れて、椅子の上下もできなくなっている。
本人はそれでも気に入っているから、これでいいというのだが…。
やはり購入しておこう。
浪人決定だから、来年も使うし。
よし。
人の少ない閉店間際の時間を狙って、そっと行って、さっと買って、さっさと帰ってこよう。
で、夜の時間帯。
いざ出かけたにもかかわらず、なにかがおかしい。
暗闇の中、広大な駐車場の向こうには、ひっそりとそびえる大きな黒い陰影。
電気が消えている。
まさか閉店?
駐車場も車が全然停まっていない。
おかしい。
そんな馬鹿な。
時間はセーフのはずだ。
新年早々、どういうことやねん…。
真っ暗闇のタイムズ駐車場の遮断機前で、絶望に駆られていると後部座席に座った息子が、
「父さん、どうやらこれ、同じ系列の違う店舗の広告みたい…。ここの店舗は除くって書いたるわ…」
と持ってきた広告を見て、ぼそりと言う。
なんというオーマイガぁーッ。
新春早々、神様も店じまいってか。
くそ、コロナめ。
いや、まだ間に合うさ。
とにかく別店舗へ急ぐんだ。
とばかりに車をバックをさせると、ゴォン。
なんやー!
と慌てて車を降りると、車の後部がコンクリート壁にゴンして、へこんでいる。
新春早々、これですか…。
また妻にボコクソにののしられるの…。
心もへこんでく。
でも、こんなことくらいで…。
ネガティブになってどないすんじゃ。
そやねん。
大当たりやねん。
大当たりなんじゃい。
めでたし、めでたし。
と涙目でごまかしながら、暗闇をヘッドライト照らし、車をぴえんと走らせる…。
で、翌日の二日。
今日は意地でもどこにもいかんぞ。
と、やることもなく、寝ぼけ眼で朝から箱根駅伝を見ていると、二区でいきなり目を奪われる。
東京国際大学のヴィンセント君。
すごい、すごい。
カモシカのような走り。
あっという間のごぼう抜き。
なんという怪走。
ほかのケニア人も、すごいぞ。
感銘して、見ていると、突然、私も走りだしたくなってきた。
もしかして、このケニアの子たちに太刀打ちできるのはオレしかいない?
ならば、いっちょやったるか。
来年は青山学院大学に再入学して…。
今から調整すれば、来年の今頃は出場させてもらえるかもしれんしな。
人間やれば、なんでもできると長友さんも本田さんも言っていたし。
そんな思い付きで、夜走り出す。
押し入れの箱から、こそこそとジャージを取り出し、この企みを家族の誰にもバレないように玄関横の、靴入れの陰に隠しておく。
そして来たぜ。夜だぜ。
へっへ。
ひっひ。
暗くなったのを見計らい、「ちょっと散歩に行ってくるわ」と言い残して…。
あばよ。俺は走るのさ。
さあ、いまだ。
銀河を超え、飛んでいけ。
新しい世界へ飛び出すんだ。
みなに俺の走りを見せつけてやる。
YOASOBIのごとく、夜に駆けるんだ。
きっと、永ちゃんも、キムタクも、こう言うはずさ。
「やっちゃえ、おっさん!」
とばかりに軽快に走りだしたつもりも、500メートルも行かない近くの飲み屋の前で、ぜえぜえ息切れ。
スピードを落とした瞬間、いかん、右のふくらはぎが…。
ひくひく痙攣してる。
やばい、やばい。
ビールでも補給しようか。
と、一瞬逡巡するも、あかんあかん。
あかんぞ、やかんぞ、キンカンぞ。
俺にはヴィンセント君が待っているんだ。
待ってろよ、ライバル……。
そう思い直し、よたよた走り続けるも、もうだめ。
さらに20メートルも行くと、ヘロヘロのヒーヒー。
眼鏡は、吐息で真っ白に染まり、ずりずりと落ちていく。
おまけに飲んでもないのに、千鳥足だ。
膝に手をつき、何度もぜえぜえ立ち止まる。
それでも頑張って右足を引きずり、前へ前へ。
そしてだ。
ついにその時がやってきた。
電信柱に手をつき、へたりこむ。
ハアハア…。
きつい。
つらいぞ。
よかったぁ、夜にしといて。
誰にもこんな無様な恰好をみられないから…。
と電信柱に手をついて呼吸を整えていると、女子高校生くらいのむちゃくちゃうるさい、にぎやかな声。
もしや背後から近づいてくる?
やばい、やばい…どうする? 
動けんぞ。
おまけに息子の同級生だったら…。
ひええ~。
荒い息吐きながら、電信柱に隠れるようにしゃがみこんだまま、必死で顔を伏せる。
でも、無駄なあがき。
「いやだぁ~。正月早々、よっぱらい?」
「吐いてんちゃう」
「みっともなぁ~」
侮蔑的な言葉をぜえぜえ波打つ背中に吐き捨てられ、おまけにダメ押しだ。
あっという間に、ごぼう抜きされ、ジ・エンド。
ああ、ヴィンセント…。
三日は筋肉痛で、心はズタボロ。
どうせえちゅうねん!
息子がくすくす笑っている。
何度、あいつの頭に青カビ生えたミカンをぶつけたろうかと思ったことか。
でも、これ以上からかわれるのがいやなので、おとなしくシュンとして新春テレビを見て過ごす。

年は変われど、人間性に変わりはなし…。
まあ、毎年毎年同じことに気づく私ですが…。
さてさて、皆様はいかがでしたか。
コロナは続きますが、頑張って予防につとめましょう。
自分の身は自分で守る。
そのような心がけが一番の予防対策のように思えます。
何事もなく過ごせますように。
ということで、本年も何卒、よろしくお願いいたします。

S様。
飼っている猫ちゃん勢揃いの絵ありがとうございました。
描かれた猫ちゃんたちが、福神さんたちのように見えました。
看護師に教えてもらい、自作の絵だということに後で気づき、お礼を言えませんでした。
スタッフ全員、すごいすごいと感嘆しております。
本当にありがとうございました。

 
2021年01月07日 16:52

あ、あれを食べるのか…

あれは、先日、急に寒くなり出したときのことでした。
ツンドラさんが急に「最近、雪虫をみませんね」と言いだしたのが事の始まりです。
「雪虫?」
温暖さんが首をかしげて、「なんですか、それ」と尋ねている。
「見たことも聞いたこともないですけど」
へえ、知らないんだ。
昔は良く見たけど。
そう思いながら、別室での二人の会話に聞き耳を立てる。
「雪虫ってさ、白い小さな虫でね、冬が来る前にふわふわたくさん飛ぶんだよ」
「へえ~。そうなんだ」
分かったような分からないような。
話を聞きながら、そんな表情で温暖さんが頷いている。
実際に見ないとね。
たぶん、あの雪虫の光景はイメージできないだろうな。
寒い中、宙に浮遊するように雪虫がふわふわ飛びかう光景は。
「結構、きれいというか、不思議な光景だよ」
「へえ」
そんな二人の何気ない会話に聞き耳を立てながら、こちらはこちらで診療中の調べ物をしていると、突然、すごい笑い声が薬局から聞こえだした。
「まじで」
「だって、食べてみたいじゃないですか」
「うそ~」
一体、何が起きたのだ。
顔をのぞかせると、ツンドラが「先生、大変です」と私の顔を見て、嬉しそうに言う。
「今度、みんなで虫を食べることになりました」
「はあ?」
何を言ってんだ、こいつ。
「どういうこと?」
「雪虫の話をしていたら、何がどうなったか、温暖さんがネットで食べる虫をいきなり購入したんです」
横に立つ温暖の顔を見ると、嬉しそうに「うふふ」と笑っている。
「はあ?」
「この人ね、虫、みんなで食べてみましょうって、いきなり購入ボタンをポチって押したんです」
「だって一度食べてみたいじゃないですか。昆虫がどんな味するのか」
いや、あのぉ……。
君たち、どういう頭の中をしてるんだ。
水族館で泳いでいる魚を見ていると、なんとなく食べたくなる気持ちはわからなくもない。
が、雪虫の話をしていて虫を食べたいと思ったやつを見るのは初めてだし、その気持ちはまったく理解できない。
ないない。
ないぞ。
一度だって思ったことないぞ。
「え~、うそでしょ。一度くらい食べてみたいじゃないですか」
なんだ、その嬉しそうな表情は。
完全にテンションが上がっている。
嘘だろ。
温暖もツンドラも満面の笑顔だ。
普段はゴキブリが出ただけで、とんでもない悲鳴を上げるくせして…。
こいつら正気か?
やっぱり頭がイカレていたのか。
うすうす気づいていたけどな。
「俺は、いやだよ。いやだって。だいたいなんで俺まで食べさせられるんだ。二人で食べろよ」
「ダメです。みんなでいっせいのせーで食べますから。だって、そうした方が楽しいでしょ」
「うんうん」
あかん。
ツンドラまで乗る気になっている。
完全に支配されたような空気が薬局に…。
何を言っても無駄だ。
そして私は…負けた。

後日、そのネットで注文された昆虫セットはきれいなパッケージで届けられた。
見た目はグリコのチーザみたい。
きれいな小袋。
海外産らしい。
二人が興奮気味に袋を眺めている。
そして袋を開けて、皿に…。
その手つきが妙に恭しい。
何か神妙な儀式が目の前で執り行わているかのような感じさえする。
こいつら、祢宜か、巫女さんか…。
そして、中身は全部で四種類の虫たちだった。
見た目はかなりグロテスク。
コオロギとサナギ。
どれも揚げられている。
正確に言えば、異なる大きさのコオロギらしき成虫が二種類。
同じように異なる大きさのサナギが二種類。
サナギたちの見た目は風の谷のナウシカに出てくるオーム……みたい。
そして、こいつら、ちゃんとそれぞれ三人分に振り分けてやがる。
有無を言わせないつもりらしい。
まじで、食べなきゃいけないのか…。
げんなりしていると、妙に嬉しそうな表情で二人が「では、先生、どれから行きましょうか」と私に尋ねてくる。
うるせえ。
食いたくねえって。
お前ら、バッカじぇねえの。
悪態をつきたくなるが、でも意気地なしとバカにされるのがいやだから、あきらめる。
サナギにしよう、サナギ。
これだったら、まだいけそうだ。
スコーン、スコーン、湖池屋スコーン。
だってさ、見た目がそのチーズ味に似てるもん。
そうだ、そう思えばいい…。
半泣きしながら、黄色いサナギスコーンを摘まむ。
「せぇ~のぉ~で」
二人が音頭を取り、口に運ぶも、ダメだ、無理。
二人がむしゃむしゃしている横で、涙を流しながら、何度もためらっている自分がいる。
「あれ、案外イケルかも」
「うん。食べられなくはないね。揚げたお菓子みたい」
「先生、早く食べてくださいよ」
そうせかされ、べそかきながら、なんとか口に運んで、むしゃむしゃ。
あれっ。
揚げた川エビの味だ。
不思議な食感で、案外、食べられなくもない。
「でしょ。大丈夫ですよ。なにかあったら、虫は食べられますよ」
「うむ。そうかな?」
なんだかはめられたような気がしながら、その他の虫も、食べさせられる。
でも、コオロギはダメだった。
見た目がグロテスクすぎる。
それでも二人は、むしゃむしゃ。
「まあイケルかな。なにかあってもこれで大丈夫」と納得したように食べている。
でも、私はダメ。
コオロギのような原型がわかる虫は、恐怖心が上回って最後まで味を楽しめない。

でもね、それは日本人の固定観念なんだよね~。
世界では昆虫を食す文化は確かにあるもん。
実際、東南アジアの市場で、大量に売られている光景を目にしたことがあるし。
日本だって、蜂の子などを食べる地域があるしな。
おまけに日本は食料自給率が低いから、いつか食糧難が訪れれば、そういった食材の開発も必然となってくるか。
もしかして案外、その手の開発や研究は進んでいるのかも。
確かに昆虫は大量に入手できる自然食材の一つであることは事実だから。
様々な味付けや見た目さえ改良すれば、エビやスルメの代わりにお酒のアテになるかもしれない。
となるとだ。
案外、虫かごのカブトムシをみながら、いつか「これ、おいしそう」と話し合っている時代が来るのか。
孵化を楽しむのではなく、食材としての興味として…。
そして、カップルたちが、昆虫館を、まるで水族館のように別の視点で楽しんで訪れる日が来る…かも。
ただ、だ。
私に関して言えば、その必要性が訪れる日まで食べない。
二度とだ。
それくらい衝撃的な食感だった…。
いまだに食べさせられたことが腑に落ちない。
くそっ。
覚えとけよ、お前らぁ!!

 
2020年12月27日 20:14

あのぉ、Mさん。やっぱりでしたか……。

だんだん寒さが厳しくなりつつある。
コロナ禍もあり、休日、家から出るのが億劫というか、ほんま意地でも出たくないというか…。

で、少し前のこと。
外出をできるだけ控えているせいか、休日は特にやることもなし。
貯め撮りしていた番組でも見て、暇な時間を過ごそうか。
リモコンをいじりながら、録画リストから探偵ナイトスクープリターンズを選ぶ。
内容はもう何十年も前の再放送分だ。
いつものように笑いながら見ていると、最後の依頼が介護士だっただろうか…。
「拝啓探偵様 仕事がら老人と話すことが多い者です」と始まり、職場での老人たちとの会話から、ある一つの共通法則に気づいたとのこと。
それは、老人たちに好きな食べモノを訊ねると、必ず、「わたし? なーんでも食べます」と返答されること。
せっかく何かのお祝いの際だ。
好きなものを食べて喜んでもらおうと依頼者はたずねているのに、ご老人方は何度聞いても、十中八九同じ返答をしてくるので困るとのことだった。
で、依頼文。
「他のご老人も同じ返答をするのでしょうか」
探偵は若かりし頃の石田さん。
本当に老人は「な~んでも食べます」と答えるのか。
で、調査開始。
その場所は豊南市場だった。
十年ほど前の市場。
すごい活気で、人々が行きかっている。
な、な、なつかしい。
そして、そのにぎやかな市場で、あちこちから現れるご老人たちをつかまえ、石田さんが例の質問を繰り返す。
「好きな食べ物は?」
「わたし? なーんでも食べます」
「嫌いなものは?」
「ないない。な~んでも食べます」
「ハンバーグとかカレーとか好きな食べものあるでしょ」
「ないない。わたし、な~んでも食べます」
皆が皆同じようにそう答える。
それがまた、独特な大阪弁のイントネーションで、なんだか妙におかしい。
げらげら笑いながら見ていると、突然見たことのある顔が…。
「あっ、Mさんや」
Mさんとは現在90歳の近所に住むおばあちゃん。
いつも、老人用の買い物カートを押しながら、私の前に現れる。
トレードマークは、はだしにサンダル。
この寒さなのに…。
「寒くないの?」
と尋ねると、「わたし? 靴下きらいやねん」
「なんで?」
「足裏ごわごわすんのいややねん」
そういって、サンダルを脱ぎ、その小さなはだしを私に向けてくる。
ほんまに…。
しわくちゃの笑顔がどこか優しげ。
ほんとの近所付き合いだ。
「先生、寒いな。風邪ひくなや」
「Mさんもね」
「ほんまコロナは大変やで。先生も気を付け」
早朝、こんなMさんと会話するのがこちらも楽しみで、なんとなく朗らかな気分になる。
開業時にはいろいろとこの辺りの事を教えてもらい、ほんと助けてもらった。
でも、最近は少しバタバタして、なかなか姿を拝見することもなかった。
心配になって、早朝、玄関の外からおうちの中の気配に耳を澄ませてみたこともあったけど。
それでも気配を感じれば、「大丈夫やな」と一人安心して、Mさんちの玄関先から離れる。
でも会わないと、なんとなく一日気がかりというか…。

そのMさんを数週間ぶりに見た。
それも画面の中で。
思わず飲んでいたお茶を噴出した。
口元を袖で拭きながら、画面に食い入る。
う~ん、やっぱりだ。
若かりし頃のMさんだ。
画面の中では、石田さんにつかまって、「なんや?」と声をあげている。
へえ、Mさん、随分お若いじゃん。
はつらつとしてさ。
背筋はピシッ。歩き方も若い。
おまけに、昔から、はだしのサンダル…。
でも買い物カートは押してない。
で、早速、石田探偵から先ほどの質問が。
Mさんは、寸分変わらず「わたし? な~んでも食べます。嫌いなもの? ないない」と真顔で返答。
そのしゃべり方が今と同じで、またおかしくて…。

先日の早朝、シャッターを開けていると、Mさんが音を聞きつけたのか、久しぶりに外へとでてきた。
「先生、おはよう。久しく見いへんかったな。元気?」
「おはようございます。元気ですわ。それより寒いから靴下はいた方がいいですよ」
「わたし? いややわ」
「なんで?」
「あれ、足裏ごわごわするもん。苦手やねん」
サンダル脱いで、いつもと同じようにこちらに小さなはだしを向けてくる。
「見せなくてええですわ。サンダルはよ、はいてください。風邪ひきまっせ」
「ほんまやな。コロナもあるからな。気ぃ付けるわ」
といいながら、あなた、マスクしてへん。
「マスクした方がいいですよ」
「大丈夫。なにかあったらいつでも付けられるように、ポケットに入れたるから」
といって、ポケットから、ちらっと見せるだけ。
あのな。マスクは、かけるもんやで。
入れとくもんちゃう。
一通り、笑いながら話し合った後、ふとテレビで若かりし頃のMさんを見たことを思い出した。
「Mさん。昔、豊南市場で探偵ナイトスクープに出てませんでした?」
「はあ? そないことあったかな?」
いつもの買い物カートを押しながら、首をかしげている。
「すごい若かったですよ」
「そっか。でも、覚えてへんわ」
「ふ~ん」
耳も遠くないし、痴呆もない。頭も切れきれだ。
カートを押してはいるが、足腰もしっかりしている。
そんなおばあちゃんだから、いくらなんでもテレビに出たことは忘れないだろう。
他人の空似か…。
似てる人なんていくらでもいるからな。
と思いながら、ためしに、例の質問をしてみた。
「Mさん、好きな食べものなに?」
「はあ? わたし? なーんでも食べます」
「嫌いなものは?」
「嫌いなもの? ないない。わたしは、な~んでも食べます」
顔を上げ、胸を張って、そう答える。
それを聞いて、一人心の中で爆笑。
Mさん。
やっぱ、あなたやわ。
だって、口調も声も一緒やもん。
はは。
ほんま素敵です。
そのまま、な~んでも食べて、長生き続けてくださいな。
そうそう。
今度、からかったお詫びに、うちのスタッフのお気に入りのプリン持ってきますわ。
マスクして待っとってくださいな。
 
2020年12月13日 20:25

お悩み相談室~ユリノキの小部屋~

12月となりました。
早いもので今年も終わりに近づこうとしています。
月日が流れるのは、なんとはやいことか。

この一年、いろいろなことがありました。
そして様々なご要望をお受けいたしました。
しかしながら、日常の業務にかまけ、なかなかご対応ならびにお答えをできないことがありました。
そのたびに「いや~多忙で…」と何度、言葉を濁したことか。
正直、暇であっても、適当にごまかしていました。
大変、申し訳ございません。
面倒くさいこともあり、逃げて回ったこともございました。
重ね重ね、大変申し訳ございません。

新しい年を迎えるにあたり、心を入れ替えたいと思います。
そこで当院では新しく相談コーナーを設けることとしました。
早速、以前から問い合わせのあったご相談の3例について、ここでご紹介したいと思いました。

【症例①「来春ちゃん(猫 メス)の飼い主 女性」】
困っていることがあります。
院長先生にぜひ、ご相談にのっていただきたく、お便りいたしました。
悩んでいるのは飼っている猫のことでありません。
上司のことです。
昨年暮れから新しい職場で働きだしました。
職場は動物病院です。
その、少しハゲかけはじめた小太りな上司の男性は、仕事に関してはそれなりに丁寧に教えてくれますが、なにせクセが強く、話しかけると必ずくだらないギャグをちょいちょい入れてきます。しばらくの間は得意の愛想笑いでごまかしてきましたが、これがどうしようもないほどお粗末な出来で耐えられなくなってきました。あんな、ひどいおやじギャグを毎日毎日これでもかというくらい連打で喰らっていると、頭がイカレて、ぼおっとしてきます。
最近では笑うに笑えなくなってきました。
おまけにコロナ禍。気分転換がてらの外出もできず、ストレスが何重にも積み重なり、いよいよ我慢の限界がきたようです。
最近は「もうっ。うるさいなぁ」「バカボンパパ、だまれ」と言ってしまうことも…。
するとギャグ上司はしりとりで返してくるので、またまた困惑してしまいます。
例えば「うるさいな」なら「なんと失敬な納豆…。次はウだぞ」
そういって、次の反応を待つかのように私の顔をじっと見つめてきます。
「だまれ」なら「れきません(できません)。あっ、負けた!」と言って何が面白いのか、一人はしゃいでいます。
いちいちしりとりにこたえていると、さらに連打が続いてくるので、ほんま、めんどくさくて困っております。
こういう相手にどう振舞えばよいでしょうか。
(回答)
大変ですね。
お気持ちお察しします。
あきらめてください。

【症例②】「リクちゃん(柴 メス)の飼い主 女性」
この職場で働き始めて長くなります。はじめのうちはスタッフは私だけ。ここのダメ上司とはしばらく一対一で仕事をしていました。
ほんまに曲者で、ギャグだけではなく、いたずらも仕掛けてくるので時々、本気で蹴飛ばしたくなります。
この前は、トイレの掃除をしていたら、あいつに外から閉じ込められました。
こちらはドアが壊れたと思って、必死で中から助けを求めて叫んでいるのに…。
私がキングオブレスラーの力動山だったら、間違いなくあいつの顔面に空手チョップを三千回くらい入れていると思います。
まあ、いたいけな女性なのでそんな野暮なことはしませんが…。
とにかく、めんどくさい相手です。
帰るときには「お疲れさま」だけではすみません。
毎日毎日、かならず余計な言葉を付け加えてきます。
たとえば「酔っ払いに絡むなよ」とか「電車を轢くなよ」とか「疲れたからといってのイナロクの真ん中で寝るなよ」とか。
夏場には「電信柱に抱き付いてセミの鳴き真似をせんように」と言われました。
そんなこと、私のような素敵な女性がすると思いますか?
するかっ! 
ボケー!
ほんま、このアホ、首にチェーン巻きつけ、自転車で商店街を引きずり倒したろっか。
ったく…。
世間でいう、めんどくさいダメ上司とはこの人のためにある言葉ではないか。
最近ではそう確信するようになってきました。
(回答) 
そうですか。
確信なされましたか…。
お気の毒です。

【症例③「こっちゃん(トイプードル メス)の飼い主 女性】
先生~、なんで「ゆりの木動物病院」って名付けたん?
(回答)
秋のことでした。
服部緑地のコスモス畑がとてもきれいでした。
気分が高揚し、うつくしい花畑の周りを「うひゃひゃ」とスキップしていました。
すると、突然、稲妻に打たれたかのように思いついたのです。
すなわち適当です。

以上、今後もこのような回答でよろしければ、なんでもご相談くださ~いっ\( 'ω')/。
 
2020年12月02日 20:39

あなたはそこへ行きたいですか?

秋だなぁ。
毎日、自転車での通勤中、色づいた葉々の美しさに目を奪われている。
イチョウ、カエデにコナラ。
ユリノキ、サクラ、ナンキンハゼにタイワンフウ…。
本当にきれいだ。
通勤路の街路樹の、なんと色彩豊かなことよ。

そして、その鮮やかな枝葉の隙間に広がる青空。
自転車を漕ぎながら、思う。
あの人は、あの蒼空高くにいるらしい。
今頃、どこを飛んでいるのだろうか。

人が宇宙に飛び立つたびに、息子が私に問うてくる。
「父さん、宇宙に行ってみたい?」
はるか彼方から送られてくる映像に、わくわくした面持ちで。
息子は「行ってみたいか」と何度も私に尋ねてくる。
「ねえ、父さんは?」
「行きたくない」
「なんで? あんなにきれいなのに。宇宙から蒼い地球を見たくはない?」
「うーん。見たくない。テレビで十分」
「無重力は体験したいやろ?」
「うーん。したい。でも、行きたくはない」
「どうして?」

はあ?
どうしてって。
だって怖いもん。
機内で、ぷかぷか泳ぐように移動している姿はたしかに平和で楽しそうだ。
窓に映る地球の姿もたしかにきれいだ。

でも、想像してみてくれ。
何もない真っ暗な空間をお前を乗せた宇宙船が飛んでいるのだ。
なにかあったらどうする?
燃料が尽きたらどうする?
救急車もパトカーも消防車も来てくれない。
セコムなんてなおさらだ。
JAFだって回収に来ないだろう。

大体、金属の重たい機体が宇宙を飛んでいること自体、どうしてもなっとくできない。
いまだに飛行機に不安を覚える。
乗るのなんてなおさら苦手だ。
ましてや、さらに重たい機体が大気圏外に放り出されたようにぐるぐる回っている。
道理的におかしいだろ。
まあ、それが科学なのだが…。

いやいや、それだけじゃないな。
まだまだ嫌な理由はたくさんある。
帰還するまで、狭い空間にずっと閉じ込められっぱなし。
そこから一歩も外に出られない。
機内で毎日顔を合わせる人も一緒。
想像するだけで窮屈そうだ。
シェルターに閉じ込められたような、何とも言えない息苦しさを覚える。

やっぱり野口さんのように選抜された人間じゃなければ…。
あんな卓越した人間性がなければ、とてもじゃないが無理だろう。
でなければ、あんな狭い空間でクルー同士仲良くやっていけないはずだ。
相当すごい訓練がいるだろうし、とんでもない能力も、とてつもない知力も、びっくりするくらいの体力も求められる。

ないない。
私にはそんなものない。
狭い空間でうまくやっていける協調性なんてまるでない。
忍耐力なんてもってのほか。
そう。
あの人たちは選ばれたひとたちなのだ。
そして私は一生選ばれることはない人間なのだ。

さらに…。
たとえ、月に到着しても、毎日毎日、宇宙服来て、宇宙食たべて、クレーターの脇で何をすればいいんだ。
餅をついている伝説のウサギも、ちょきちょきしたカニもそこにはたぶんいない。
生き物がいないということは、いわばそこに誰もいないということ。
いやいやそれだけじゃないぞ。
浮遊の散歩中、尿意や便意をしたくなったらどうする。
「オレ、あのクレーターの真ん中でちょっと用を足してくるわ」
なんて言うのか。
電信柱もないぞ。
犬のジョンだって戸惑うと思う。
おまけに立ちションがてら、宇宙服のジッパーを下ろしたら終わりだ。
あばよ。

そういうこと。
すぐに飽きる。
売店もない。
ダメ虎恋しさにデイリー読みたくなったらどうする?
アツアツのタコ焼き喰いたくなったら、どうする?
な、そうだろ。
考えてみれば、庄内駅近くのここの、なんてすてきなことよ。
「どんどん」も「ひさご」も「たこしょう」もある。
ほかにもなんでもあるぞ。
まあその分、パチンコ屋ばかりで、酔っ払いも多いし、治安も悪いけどさ…。
でも、きっとお巡りさんがすっ飛んできてくれるさ。

「やっぱり、いややな」
「でも、父さん、考えてみ。そんな一生いるわけやないんやで。ちょっとだけ、それもただで行かせてもらえるんやったら行きたいやろ」
「いや。ここで十分」
「ふーん。つまんない人間だな」

ええ、ええ。
どうせ、私はつまんない人間です。
とてつもなく、退屈な父親ですぅ。
そこのアスファルトに、ぽつんと落ちたタバコだよ。
あんな、くしゃくしゃに踏みつぶされた吸殻くらい、私は面白みがありませ~ん。
だいたい昔から、おもろいことなど何一つ言えない、とても真面目な人間だったんだ。
そうやって何十年もよそ様からバカにされて生きてきた人間なんだ。
そして、それでもなお、今もさんざんに息子にバカにされながら、一人ぼやいている人間なんです。

そうは言ってみても…。
「行きたくない」のは本当に私だけだろうか。
私の考えがずれているのか。
ためしに、うちのスタッフにも聞いてみた。
「あのさ、宇宙に行ってみたい?」
すると、二人とも「行きたいですぅ~」ととたんに目を輝かせた。
なんという、うるうるとした瞳。
ウキウキ、ルンルンしてる。
まるで目の前に超イケメンが現れたような…。
なあ、君たちさ。
たまには私に対してもそういう視線を向けたらどうだい?
まあ、ねぇ~わな。
冴えないおっさんや。
いつものように不貞腐れとこっ。
ふん。

「で、なんで?」
「だって、行けるなら行ってみたいじゃないですか?」
「ふーん」
その魅力が私にはわからないんだけど。
「先生は、きっと現実的に考えているんですよ」
現実的?
「だって不安が先に浮かんでくるんでしょ。現実を考えたら危ない行動をしたいとは思わないもんですよ」
うーん。確かにそうかもしれないな。
まだまだあのアホを食わせていかないといけないしな。
現実を考えたら、あいつみたいに、口をポカーンと開けて、画面に映るきれいな地球を、えへへとよだれ垂らして眺めている場合じゃないんだ。
宇宙空間でとんでもない事故があったらどうすんだ。
どうやって私はあのアホを養っていけばいいのだ。
そんなことをとりとめなく考えていたら、蒼い地球の映像も、あの宇宙空間の神秘的な光景も一度くらいナマでみたいとは思えない。
配信で十分だ。

でもな。
それだけでもないな。
だって、もし仮に、だ。
私にも、あの前澤さんのように大変な余裕ある大金持ちであったとしたら…。
私は、あんな風に大枚をはたいて宇宙への切符を買う人間だろうか。
うーん。
ないな。
やっぱ買わない。
宇宙、怖いもん。
わざわざ怖い思いして、異空間から地球を見てみたいなんてやっぱり思わない。

そういうことなんだ。
冒険をしたい。好奇心が旺盛。なんでも見てみたい…。
そういった心の若さは今の私にはないらしい。
古い人間にどんどんなりつつある。
時代からどんどん取り残されていく。
それくらい今は本当にすごい時代なんだ。

今回の旅立ちが商用船開発の第一歩となるらしく、となると今後、さらに多くの人類が宇宙へ旅立っていくことになるのだろう。
それに伴走するかのように、AIやITを導入した技術開発もどんどん加速していき、時と空間というあらゆる距離がどんどん縮まっていく。

ああ。
なんてこった、パンナコッタ。
困ったもんだ、みのもんた。
幼い頃、黒電話のダイヤルを回していた私には、もはや、すでにこの現代に対して隔世の感さえ覚えてしまう。

現代はどんどん加速していく。
それとともに私はどんどん置いて行かれる。
道端に生えた雑草みたいだ。

いま、先端を走っている人たちは、どんな思いで駆け抜けているのだろう。
時代のど真ん中を、どれほどの勢いで、どんな息遣いで走り続けているのだろうか。
きっと。
とてつもなく、すごいはずだ。
一心不乱だろう。
周りなんて目もくれず、本当に必死だろう。
とてもじゃないが、私みたいな人間が一緒にへいへいとついていける速度ではなさそうだ。
すでに遅れをとったマラソンランナー…。
前を走る集団はどんどん遠のき、その後ろ姿をガードレールにしがみついて、ぜえぜえ息切れしながら涙目で見つめている…。
そうだろうな。
全速で前を駆けていくウサギから見れば、きっと私はのろまなカメなんだろう。

やはり想像するのは難しくない。
だからなおさら。
もう無理をしたくない。
若い頃のように、必死で目の前の人間に喰らい付いていこうなんて、もう二度と思わない。
たとえ、のろまなやつらめ。
惨めだな。
じゃまなんだよ。
と吐き捨てられようが。
気付いたら、姥捨て山に捨て置かれた老人のように。
背中を丸め、小さく、頼りなく…。
まるで、道東の、砂洲に突き刺さったように枯れ果てたトドワラのように。
この世の終わりのような光景に、ぽつんと取り残された遺物として、彼らの瞳に映ろうと。

果たして、ウサギたちの目にこのカメはどう映るのだろうか。

どうであろうと、願わくば、このまま平和の象徴として、宇宙開発が平穏に進めんでくれればいい…。
加速する時代も、混迷する世界も、平和へとしっかり舵取りをしてくれればいい。
でも、やはりそれは人間が行うことなので、必ず欲が絡み、すこしずつ軋みが生じてくる気がする。
平和な宇宙利用なんてきっとうまくいかないのだろうし…。

ならば。
ウサギたちよ。
だれかれ構わず、遠慮もなく、バサバサと木々をなぎ倒すように時代を切り開いていくあなたたちのことだ。
たまには、ふと息抜きがてら、我に返って、全力で走ってきた道を振り返ってみてくれないか。
今いる場所は、幸せか。
平和な場所か。
住みやすい場所になっているのか。

だって、人類があれほど夢に希望を描いた未知の世界や時代へ、あなたたちは我先へと突入していくのだ。
なにがあるのかわからぬ果てしない未知の宇宙へと、あなたたちはこれからどんどん旅立っていくのだ。
ならば、目先の欲だけでなく、後進の、誰にとっても安らかな道を切り拓いていってほしい。

いや、まさか…。
そんなことはあるまい…。
ウサギさんたち。
もしかして、あの遠い宇宙空間から、この蒼い地球を、憧憬として、茫然と口を開けて眺めていることにはなっていまいか…。
そのころには、時代の変遷とともに、左遷や流刑を意味する「島流し」という言葉が、いつのまにか「月流し」という言葉に生まれ変わっていないか…。

「あいつ、月に流されたんだって」
「ええっ。まじでぇ」
「信じられんな。あんなに颯爽と、かっこよく前を走ってたやん」
「しゃあねえって。欲ばかりむき出しにしてたもん」
「ほんまかぁ…。涙の片道切符か…」
「お気の毒なこってぇ……。見な。あいつ、暇そうに、いまあそこで餅つきしてらぁ」

満月を眺めながら、団子をむしゃむしゃ、またつまむ。
取り残されたカメたちが宙を見上げ、そんなことを公園ベンチで話している。
そういう時代になっていないことを、ただただ祈りたい。

ひがみかな。
そうかもね。
でも、やっぱ私はお気楽ランナー。
目の前のことを一つずつ、自分のペースで、ゆっくり片付けながら歩いていく人間の側だと思う。
若いころのように、他人の目や、体裁ばかりを気にして、己の心に負担をかける無理はもうしない。
ごめん、息子よ。
やっぱり私は、そういうつまらぬ人間らしい。
2020年11月21日 14:09

あこがれのボスの憧れの国

ラジオを聞いていたら、DJが早口で言った。
「皆さ~ん。お待ちかねで~す。ブルース・スプリングスティーンの最新アルバムが配信されましたよ~」。

よっ。
いよいよですか。
ボス。
待ってましたよ。

遠い昔、ボスと呼ばれたあの人は、憧れだった。
私にとってあこがれのアメリカを代表する憧れの歌手で、それはそれは、もう本当にまばゆいばかりの存在で…。

今と違ってネットもなく、家庭にテレビも複数台なかった時代。
ぎゅうぎゅう詰めの、ひどく狭い教室で話題になるのは、いつもテレビの人気番組。
ド田舎の中学校だったから、テレビではやる曲や話題以外、大きなトピックはない。
あの頃、世間では、なめんなよの学ラン猫がはやり、歌番組ではチェッカーズやCCBの曲が毎日うんざりするほど流れていた。
級友たちは、毎日飽きもせず、だれだれのレコードを買っただとか、あの人かっこいいよねとか、そんな話題で盛り上がっていた。
いったいギザギザハートの何がいいんだ。
ロマンチックが止まらないって、なんやねん。
ギンギラギンにさりげなく、ってどんな俺のやり方や。
ふん。
ほんまに。
カバンをぺちゃんこにした、だぶだぶズボンのツッパリもどきが、廊下を我が物顔で、肩をだらだらと揺さぶって。
校舎裏でうんこ座りになった半人前どもが、束になって、タバコ吸って、ガラス割って、ボヤ騒ぎ起こして。
ほんま迷惑極まりなかったわ。
だいたい、ちっちゃな頃から悪ガキだった奴らは、一体どうなったというんだ。
もう一度出会ったら?
ふん。
決まってるさ。
授業中、ぶんぶんうるさかった銀蠅もどきなぞ、大きなハエ叩きで「いないないばぁー」ってしてやる。
教師は教師で、廊下を走っただけで執拗にこちらをぼこぼこ殴ってくるし。
すべての大人が尊敬できる存在ではないんだということは、あのころ、そりゃもう十分学んだ。
なにもかもがちっとも楽しくなく、話題や教室でいつも浮いたように感じていた私にとって、中学校はそれはそれはかなり難しい場所だった。

高校に入り、それが少し変わった。
新しくできた帰国子女の友人が、音楽なぞにまったく興味をもたない私に、「これすごいよ」とカセットテープを貸してくれた。
ブルース・スプリングスティーン&Eストリートバンド。
そのライブ盤。
名前なんてさっぱり知らない。

だれ、この人。
アメリカでは超有名人だよ。みんなボスって呼ぶんだ。
ふーん。そうなん。でも、音楽興味ないし。
いいから聞いてみなって。

すすめられるまま、勉強の合間、聞いてみた。
そして、そのまま。
あれぇ~っと、ずぶずぶずぅ~。
うひゃひゃ。
なんだ、なんだ。
何が起こった。
日本の歌番組では聞いたこともない弾けたリズムに疾走感。
野太い声。時には語り掛けるような歌い方。
そして突然、走り出す音。
にぎやかで、どんどん盛り上がっていくバックバンドとコーラス。
どきどきした。
一気に駆け抜けていく音楽に我を忘れて耳を澄ました。
私が聞いた、ザ・アメリカというべき初めてのバンド。
歌詞なんかさっぱりわからなかったけど、それでも親に必死にねだってCDを買ってもらい、毎日のように聞いた。
バッドランズはそのころ一番聞いた曲で、今もお気に入りだ。
いまだにどこかで耳朶にふれると、俊ちゃんみたいに、ハッとして、グッとなる。

あれ以来、洋楽かぶれし、雑誌のFMステーションを買っては読んだ。
表紙の、ポップなわたせせいぞうさんのイラストからさらに洋風世界に憧れを増した。
ああ、ボス。
彼を入り口に、見たこともない、行ったこともないアメリカに、心はどっぷり入り込んだ。
アメリカと聞くだけで、心が躍るような気分になった。
ロッキー。
スターウォーズ。
ET。
スタンドバイミー。
ゴーストバスターズ。
映画もいっぱいみた。
なんでも、ただきらきらとまばゆく感じられた。
華やかな繁栄の象徴だ。
ただただ白人たちがみせつける映画のようなアメリカン・ドリームにあこがれた。

懐かしいな。
そんなボスの新作。どんな感じなのだろう。
わくわくしながら聞いた。
が、若かりし頃の華やかさというか、労働階級や社会性をうたい上げた力強さというか、そういったものは一切感じられなかった。
とてもきれいなメロディーの、まったく違う人かと思うくらいの声質が、別の世界を歌っていた。
あの頃の華やかさや野太さはいまやどこにもない。
メロディーはきれいだけど、どこか暗く、冷え冷えとした陰鬱な空気。
ジャケットに映った写真のせいか、雪が積もる前の、枝からすべての葉が落ちた、寂しげな冬の森にいるような感じがした。
ボスも本当に年をとったんだなあ。
一体、何があったんだろう。
最新のインタビュー記事も目にしたけど、やっぱり……そっか。
鬱々した心情がしのばされるような、いままでイメージしてきたボスらしくない実像が浮かんできた。
「彼が再選されたら、おれはこの国を出ていく」
うつ症状を抱えているようなことも書かれていた。
そっか。
はぁ~あ。

でも。
年を取ったのは、なにもボスだけではあるまい。
私だって、それなりに歳をとった。
だって、それが証拠に、あれだけ憧れだった人も、そしてアメリカという国も、いまやまったく魅力的には映らない。
アメリカ映画を見ていても、昔みたいに憧憬を抱くこともなくなった。
洋楽を聴いていても、かっこいいけど……。
なんだか洗練されすぎて…。
テレビをつければなおさらだ。
デモが続き、選挙前のせいか、あきれたような混迷さが、さらに苛烈化している。
うそかまことか、ライフルやマシンガンをもった一般人がミリシアと称して町を警らし、その横で赤や青の看板を持った人々たちがののしり合いをしている。
今にも沸点に到達しそうな勢いで、本気でいがみあっているように見える。
現代のソドムだな、こりゃ。
ほんまかいな。
偽の投票箱がつくられたり、本当の投票箱が燃やされたり。
コロナはどこよりも蔓延し、なのにマスクをつけることでさえ、人権や権利を振りかざして抵抗している人もいるらしい。
おまけに大将は他国のせいばかりにして。
すべてが報道通りではないやろうけど。
でも、やっぱり、略奪や暴動を見ていると日本では当たり前の治安が保障されているとはとても思えない。
どこか映画や漫画みたいな世界にさえ見えてくる。
ここまでアメリカ人のやることは子供じみているのか。
幼子でも信じないようなデマを流しあって、信じさせようとするなんて。
かの国の、選挙前の映像をみていると、いつもだ。
見ていて目を覆いたくなる。

遠い昔、私はこんなイカれた国に憧憬を抱いていたらしい。
うそのような過去だ。
あれほど華やかで繁栄していた大きな背中が、気づけば、くたくたに錆びついて、疲れ切った老人のように小さく丸まってみえる。
考えてみれば、あの頃の私が行きたくもなかった中学校みたいだ。
息苦しくて、なんとも生きにくい場所だ。
そんな場所にはもう二度と足を踏み入れたくはない。
一緒になって、目の前の人間といがみ合いたくはない。
暴力をふるいたくもないし、ふるわれたくもない。
それどころか、こんな国に住みたくもないし、行きたくもない。
平和どころか、治安さえおぼつかないんだぜ。
隣人が、考えが異なるというだけで銃を向けてくるなんて、ほんまに正気の沙汰か。
アホなヤンキーのカツアゲの方がまだましだ。

でも。
冷静に考えてみれば、勝手に憧れを抱いていたあの頃から、もしかしたらこの国の実態は今みたいに根深かったのかもしれない。
そんなこと、あの頃は考えてもいなかったし、思いつきもしなかったけれど。
トップガンやフットルース。
白人同士のばかげた恋愛沙汰にアホみたいに心をときめかせた。
最先端の特撮技術を駆使したバックトゥザフューチャーやET、インディージョンズ。
冒険心満載で、きらきらとした日々にいつも夢を見ていた。

けれど。

それはもしかして、何も知らない、世界の片隅の、この島国人の末端の貧乏心が、乙女のようにくすぐられていただけなのだとしたら。
良いところばかりをテレビや新聞で見せつけられ、実態も知らずに、憧ればかりを抱いていたのだとしたら。
あの頃には、すでに自由や個人主義という言葉の陰に、目を覆いたくなるような偏見や人種間の不平等が底辺でぐるぐる渦巻いていたのだとしたら。
そういえば、そんな気配を何度も感じもした。
だって、マルコスⅩやミシッシッピー・バーニング、プラトーンといった社会派映画を目にする機会がだんだんと増え、いつしか遠くに住む私の目にも、少しずつアメリカの抱える違う側面が見えてきた気がするから。

いま、かの国を、遠い島遠くの岸辺から、再び違う視点で眺めている。
この目に映る、昔、恋焦がれたあの国は、もはや憧れでもなんでもなさそうだ。
私のような、世界の極東端に住む人間からみても、あの偉大だったアメリカは、もはや世界のリーダーとは映らない。
エゴやわがままばかりをごり押しする、まるでジャイアンのような駄々っ子だ。
錆びついていく原因を、時代や他国のせいばかりにして。
そのジャイアンに媚を売り、取り入るようにせっせと一緒にゴルフ場をラウンドしていたのはどこのどいつだ?

なあ、スネ夫。
決して、いつまでも脛をかじって、ジャイアンに右に倣えと追従していく必要はないんだ。
だいたい、威勢良かったあのツッパリどもはどうなった?
だからだよ。
お前、いつまでもパシリでいる必要はないんだ。

はたして。
ジャイアンが再びそこにどすんと居座ろうが、その首とネクタイを青くすげ替えようが、混迷し、深く根付いた人々の対立は鎮まっていくものなのだろうか。
誰がどう見ても、あちこちの地面には、ひどく隆起した膿や、大きく開いた傷穴ができあがっている。
皮膚にできた盛りあがった膿は、切開し、排膿し、やさしく洗浄してあげればいい。
さらに抗生剤でも服用させれば、大抵きれいさっぱりに癒えていく。
けれど、人々の心に抱え込んだ大量の膿はそうはいかない。
そんなものに見事に効く特効薬など、いまだ、どこの製薬会社も病院も開発はしてはいやしない。
怒りや不満、恨み、つらみ、怨嗟……。
そんなやっかい極まりない心の闇は、誰に頼るものでもなく、理性という己の力でコントロールしていかない限り、収まらないもの。
そんな風に危惧するほど、あの社会には根深い病が瀰漫しているように映って仕方がない。

今後も、怒りや不満のデモ、それに便乗した略奪や暴動は繰り返されるのだろうか。
そして生々しく、痛々しいまでの心の闇は、さらに奥深く、孤立したように内へ内へともぐりこんでいくのだろうか。
もう二度と排膿できないほど、心の闇の奥底へ、深く深く浸潤していくように。
そして、これから彼らが進む道にも、ずたずたに分断されたまま痛々しく残る傷が、空爆を受けたかのようにむき出しになっていくのだとしたら。

もしや、膿が破裂して自壊するのを待つしかないの?
いやだな。
そいつは、困るよ。
だって、膿ってさ、信じらないくらいの腐臭をあちこちに漂わすんだぜ。
こっちにまで漂ってきたら、いい迷惑だよ。
ほんま、ほんま。
だってわし、のんびりしたここが好きやねん。
ビール片手に仲間とさ、「あほ。ええかげんにせえや」と半ば呆れながら、わいわいがやがや、センチュリーやサウナをいじっていられる平和な関西がどんなに居心地いいことか。
なんならあの二人、セットで貸したろか。
大統領と副大統領に。
あんたんとこに比べたら、うちらのトップ、かわいいもんやで。
ちゃんと謝るもん。
でもな、ほんま、いっぺんどうや。
うちらの大好きな寛平さんに、あんたんとこの大将、ちぃとばかり血吸うといてもらったら。
そしたら、あんなえげつないモンも、きっとハートウォーミングな人間になれるわ。
まあ、いいさ。
とにかく。
わざわざ太平洋を渡って、漂ってこんといてくれ。
頼むで、ほんまに。

さてさて。
いまや、米を主食とするこの国の末端にいる私でさえ、米国と書くあの国は、あこがれに値する国でも、親近感を抱かせる存在でもなくなった。
米離れが進む昨今、主食や味覚だけでなく、心も、文字通りの米離れが加速しているのか。

そういえば、死んだじいちゃん、ばあちゃんがよう言ってたな。
美味しい米作りをするにはな、労力と時間をかけて、それも丹精をたっぷり込めなきゃあかんのやて。
国作りなら、なおさらやろ。
ましてや、あんたが、聴衆に向かって連呼する、MAGAなる真の偉大な米国作りをしたいんならなおさらだと思うわ。
なあ。
世界に誇るべき姿はどこいった。
ほれ、あんた。
目をかっぽと見開いて、真ん前に広がる大きな票田よう見てみい。
あんたが好き放題に、でこぼこに荒らしたせいで、あちこちで火種がくすぶってるやろ。
もう一度ゆうといたる。
田んぼはしっかり耕し。
ちゃーんと、丹念にな。
なんでって?
あほ。
だってな。
みーんな、こう思うとるんや。

星条旗よ、正常なれ。
永遠という名のもとに、正気を取り戻してくれって。

さあさあ。
何を言っても、愚痴になる。
よってらっしゃい、みてらっしゃい。
いよいよ、今世紀最大のショーの始まりだぁ。
赤組が勝つか、青組が勝つか。
あんたはどっちにかけるだい。
おいおい、そこのお嬢さん、頬を真っ赤に染めてどうしたの。
おいおい、そこの兄さん、顔、妙に青ざめてねえか。
まあ、いいさ。
どっちに転ぶか、どっちが勝つか。
トランプ遊びに興じましょ。
どっちの夫婦が、キングとクイーン。
ハートを引くのはだぁーれだ。
それとも両者にらみ合っての引き分けか。
そこの若いの、下がって下がって。
おいちゃん、どいたどいた。
そこ、ぼおっと立ってねえで、しゃがんでおくんな。
後ろがつかえて見えねぇぜ。
だってよ、あんたたちの背後にゃ、世界あまたの人たちが、いまかいまかとかたずをのんで見守ってんだ。

かの国では、あと5日らしい。
新しい社会が宣言されるそうだ。
そうですか。
でもね、私の目に映るその国の社会像は、よほどのことがない限り、以後も、きっと、それほど変わらない気がするんだ。
ごめんね、ボス。
だって、心が離れてしまったようなんだ…。
親愛なるあなたたちへ。
島国から愛を込めて。
”Goodbye, Badlands.”
2020年10月28日 18:55

へえ~、それって楽器だったんだぁ?

秋である。
自転車を漕いでいると、あちらこちらで金木犀の香りが鼻をくすぐる。
「いい時期ですね。先生、釣りには最適な時期じゃないですか?」
ええ、そうかもしれないっすね。
でもわかんないっす。
もう行ってないから。
だって、今はまったくタコ釣りに心がわかないしね。
行っても結果分かってるし。
だいたいさ、わざわざ出かけても、堤防で釣り竿垂らして、ただフジッコの赤い看板を眺めているだけ。
そんな私をゆらゆらタコ君がへらへら笑っているだけ。
そうなんだよ。釣りは私には向いていないんだよな。
最初からそんなことはわかっていたんだけどさ。
だって、餌木で魚を釣ろうなんてこと自体が間違ってるじゃん。
本気で釣りたければ、生臭いのを我慢してでも餌釣りをすればいいんだよ。
それが本来の釣りのやり方なんだからさ。
じゃあ、太極拳は?
えろう、すんまへんな。
わし、こっちも、もう飽きてんねん。
だって、腰痛あらへんし。
えーえー、だから成龍拳も未完成のままなんですぅ。
だいたい、本気でジャッキーになろうなんてこと自体が間違っていたんですぅ。
スターになるなら、もっと若い時期に考えるべきだったんですぅ。
今更、香港スターに憧れるなんて、まったくぅ。
ほんと俺ってばかだなあ。

そんな何事も中途半端で終わらせようとして、いつも何事も身につかないままの人生を繰り返している私。
何もすることなく、最近は仕事後、テレビばかり見ている。
ああ、バラエティーはおもろいなぁ。
笑っていれば、いやなこと忘れられるし。
芸人たちをみていると本当に生き生きと楽しそうだ。
サンマさんはすごいな。ほんまおもろいな。
そういえばM-1で活躍した芸人たちもかなりの勢いだな。
ミルクボーイもかまいたちもペコパも半端ない活躍だ。
M-1という舞台で躍動するとこんなに人生が華やかに変わるものなのか。
表情なんかとても明るいし。
そうかぁ。
M-1かぁ。
芸能界で売れっ子か。
いいな。羨ましいな。

そして、そのとき私は、はたと気づきました。
もしかして、私は、この世界にこそ、あこがれを抱いていたのではないか。
いまこそ、年齢なんて忘れて、この世界にダイブするべきではないか。
そうだ。何事もチャレンジすべきだ。
年齢なんて関係ない。
やればできると長友さんや本田さんが言っていた。
でも、一人では漫才はできないし、出場さえ叶わない。
ならば、相棒は。
誰かいないか。
ナマハゲならこう言うだろう。
おもろい奴はいねぇーが?
いや、実はもしかしてすぐ近くにいるんじゃねえ?
あいつ、性格冷たくても、おもろいからな。

翌日、ツンドラに話しかける。
「OK、ツンドラ。一緒にM-1出へん?」
「はあ?」
 あんた、またいきなりなにゆうてん? とばかりに冷たい視線でぎろっと見られる。
「あんな。M-1でてっぺんとったらどうやら人生変わるらしいで。2位でも3位でも人生変わるんやで」
「あ、そう」
「なあ、一緒にでえへん?」
「でるわけないじゃないですか。巻き込まんといてください」
「おもろいで、きっと」
「そんな簡単な世界ちゃいます」
ツンドラは調剤しながら、冷たい視線。
すっと視線をそらし、それ以上、まともに相手にさえしてくれへん。
その段階で、すでにツンドラの背中が氷山のごとく大きく目の前に立ちはだかっていました。
なんて冷たい背中なんや…。
そのときの私が受けた悲しみときたら・・・。
皆様にはわかってもらえるでしょうか。
気づくと私は悲しみで涙ぐんでいました。
何度彼女を見つめても、背中という絶壁が目の前にそびえているのです。
「M-1なんてやめとき」
あいつは、そうやって、断崖絶壁から私を奈落の底へとたたき落したのです。
私は、へなへなと床にへたり込みました。
そして、辺りを見回しました。
周囲はまるで暗黒に支配されているように映りました。
頬に当たる風は冷たく、空は真っ黒に包まれています。
誰もいません。
そう。
夢が破れた瞬間です。
あいつが私の夢を絶ったのです。
それほどM-1という壁は高く、高尚だったのでしょうか。
もうだめや。
憧れや夢で生きていけるほど現実は甘くはありません。
そう思うと、もはや生きているのが苦痛で仕方がありません。
立ち上がれないほどに打ちひしがれている自分に気づきました。
なぜだ。教えてくれ。
なぜ、一緒に出場してくれないのだ。
では、聞こう。
汝にとって希望とはなんだ。
生きる喜びとはなんだ。
そして、私は、これからどうやって生きていけばいいのだ?
私にはもう頼る人もいないのだぞ。
なすすべさえないのだ。
これから、何を心に秘め、そして何を希望や夢と定め、この代わり映えのない日々を生きていけばいいのだ。
ああ、教えてくれ。
ここは地獄なのか。
それとも絶望という現実なのか。
私はこれからという長い年月をこのような牢獄で過ごしていくのか。
ああ、わかっている。
心は風雨で腐敗した木板のごとくギシギシと軋み、幻聴が聞こえ、耳鳴りはやまない。
まるで恐ろしい雷音がいつまでも鼓膜に鳴り響いているかのようだ…。
Idreamed a dream.
世界は暗黒に包まれ、恐るべきトラが今にも襲ってくるような恐怖…。
一筋の光さえ差し込まない世界。
スーザン・ボイルの哀しき歌声が今にも聞こえてきそうだ。
そして絶望で打ちひしがれた心は私に病をももたらしました。
もう、食べ物さえ喉元を通らない。
あれほど立派につき出ていたおなかも、今はもう見る影さえありません。
もう心も体も、げそげそだ。
ほっぺただって、こけこけだ。
毎日を仕事だけで生き、笑うこともままならず、目はどんよりと曇り、唇は血の気を失って青ざめている。
体は今にもよろけて倒れてしまいそう。
毎日を絶望と困惑の日々をすごすばかり…。
でも…。
本心を言えば、それでも私は打ちひしがれた思いを打破したかった。
ただそれだけのことだったのです。

ある日の昼休み、泣きながら豊南市場に和菓子を買いに行きました。
そしてそこで思わぬ光景を目にしたのです。
老婆が市場でピアノを弾いていました。
ピアノ…。
いつの間に、こんなところに…。
誰が何のために。
市場にピアノなんて、な~んて斬新…。
その刹那でした。
暗く凍り付いた私の胸にピアノにまつわる様々な思い出がよみがえってきたのです。
よう子ちゃん……。
ああ、よう子ちゃん。
いつの間にか、老婆のあの丸まった小さな背中に、初恋のよう子ちゃんの姿が重なっていたのです。

朝の合唱の時間や音楽の授業。
いつも先生の代わりにオルガンやピアノを弾いていたよう子ちゃん。
窓から差し込む光を浴びた、あの子の白い横顔。
よう子ちゃんはピアノを弾きながら、いつも柔らかな笑みを浮かべていました。
ピアノを弾く、細く長い、うつくしい指。
こんな素敵な女の子と一緒にいたいな。
一緒にピアノを弾きたいな。
憧れと羨望のまなざしで、私はいつも口をぱくぱくしながらよう子ちゃんを眺めていました。
そのよう子ちゃん。
小学校卒業と同時に引っ越してしまい、夢はかないませんでした。
よう子ちゃん。
ああ、よう子ちゃん。
そのとたん、私は雷に打たれていました。
なにもかもが一瞬だったのです。
気づくと、老婆が奏でるサウンドと私が見事なまでに融合し、一体化していたのです。
音楽と自我とのシンクロニシティ。
誰にもこの思いとインスピレーションは伝わらないことでしょう。
そう。
きっとジョン・レノンとオノ・ヨーコもこのような経験を共有し、二人は結ばれたのです。
えっ。もしかして。
俺はジャッキーではなくジョンだったのか?
俺は香港スターではなく、リンゴ・スターを目指すべきだったのか。
ごめん、ヨーコ。
いや、よう子。俺は気づくのが遅かったようだ。

いやいや、まだ遅くはないぞ。
そういえば、家に20年ほど前にもらったおもちゃのキーボードがあったけ。
そうだ、あれでも引きずり出して今日から弾いてみよう。
楽譜も読めない。音楽のセンスもまるでない。でも、いつかここで、この市場ピアノであの可愛かったよう子ちゃんのようにきれいな音色を奏でよう。
そしたら、きっと市場で働く人たちも、私の醸す音色に合わせて歌いだすに違いない。
青空で、小鳥たちがさえずるように。
清らかな風の音色に合わせ、リスたちが小枝の上で踊るように。
私はまるで雷に打たれたように、スキップをし、小躍りしながら職場に戻りました。
その時の感激と喜びといったら…。
これを読んでいる皆様方にはきっとわからないことでしょう。
これは希望と夢に満ちた物語なのです。

「俺、ピアノを始めようと思う」
「はあ?」
案の定、アホなうちのスタッフ2人は口をぽかんと開いて私を見ています。
なんでそんな顔をするのだ。
わからんのか。
ピアノだよ、ピアノ。
すべての人々の心を惑わせる旋律を弾くのだ。
そして、すべての人々に希望と夢を届けるのだ。
「先生、楽譜読めるの?」
「無理」
でもね、人間やればできるんだ、って長友さんと本田さんが言っていたよ。
私は優しく彼女たちを見つめます。
あらゆる人々を包み込むような、すばらしく柔和なほほえみを浮かべて。
「先生 どうせすぐ飽きるでしょ」
「えっ。なんのこと。そんなことはないよ。絶対にないよ。たぶんないよ」
そんなやりとりをしながら、実はツンドラさんが9年もピアノを習っていたことをはじめて知る。
えー。それどころか、ウクレレを弾くこともできるなんて。
なんて、こったい。
実は、君はよう子ちゃんみたいにすごい人間だったのか。
そんな大事なことをなぜ君は履歴書に書かなかったんだ。
ピアノ歴は、学歴や職歴より大事なことだぞ。
だってあのよう子ちゃんが弾いていたピアノだぞ、ピアノ。
はやく言っておいてくれ。
バンドができるじゃないか。
「頼む。教えてくれ。オレに楽譜の読み方を。そしてピアノの弾き方を。俺はあの頃のよう子ちゃんに少しでも近づきたいんだ」
「まあ、いいですけど……」
私の熱意がようやくこの冷酷な心の持ち主にも伝わったらしい。M-1には興味さえ示さなかったのに、音楽には賛同してくれた。
さすが偉大なる音楽の力。
念のため、近くでくすくす笑っている温暖さんにも尋ねてみた。
「なにか楽器やってた?」
「いいえ」
「そう。じゃあ、みんなでバンドをするから、したい楽器ある?」
「私はペットしたいです」
「はあ? ペット?」
 一瞬、何の楽器かわからず、問い直すと、温暖さんはいつもの柔和な笑みを浮かべて言いました。
「ええー、分かりませんか。ペットボトルですよ、ペットボトル。あれ、すごくかっこいいじゃないですか」
ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってよ、お嬢さん。
一体、君は何を言い出すのだ。
なんのことだかさっぱりわからんぞ。
最近、彼女の中の、無添加・無着色のナチュラル素材の含有量が、以前にましてがぜん増えてきてないか。
ツンドラと一緒に目を点にして唖然と彼女を見つめていると、彼女はとたんに顔を真っ赤にしました。
「ごめんなさい……トランペットの言い間違いでした」
ははは。
もう、遅いぞ、温暖よ。
聞いてしまったんだ。
手遅れなんだよ。
もう決まったんだよ。
君は、ジャズメン・ユリノキトリオを組む際、ペットボトラーとなるのだ。
私がピアノ。
ツンドラがウクレレ。
そして、君はペットボトル。
こんな面白い楽器を君がどう演奏するのか、今から超楽しみだ。
吹くのか、噴くのか、転がすのか。
それともたたくのか、シェイクするのか、ひたすら潰し続けるのか。
その奥義とやらをとくと見せてもらおうではないか。
ははは。
楽しみだ。
ほんま楽しみだ。
絶対、君と一緒にやるためだけに一曲だけでもピアノで弾けるようにしてやる。
ぜひみなで一緒に音色を奏でよう。
ただ、このゆかいな楽しみのためだけにな。
へへへ!! 
ワハハ!!
そして来年は君と一緒にM-1だ!!
 
2020年10月03日 09:59

ゆりの木動物病院

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