ラジオを聞いていたら、DJが早口で言った。
「皆さ~ん。お待ちかねで~す。ブルース・スプリングスティーンの最新アルバムが配信されましたよ~」。
よっ。
いよいよですか。
ボス。
待ってましたよ。
遠い昔、ボスと呼ばれたあの人は、憧れだった。
私にとってあこがれのアメリカを代表する憧れの歌手で、それはそれは、もう本当にまばゆいばかりの存在で…。
今と違ってネットもなく、家庭にテレビも複数台なかった時代。
ぎゅうぎゅう詰めの、ひどく狭い教室で話題になるのは、いつもテレビの人気番組。
ド田舎の中学校だったから、テレビではやる曲や話題以外、大きなトピックはない。
あの頃、世間では、なめんなよの学ラン猫がはやり、歌番組ではチェッカーズやCCBの曲が毎日うんざりするほど流れていた。
級友たちは、毎日飽きもせず、だれだれのレコードを買っただとか、あの人かっこいいよねとか、そんな話題で盛り上がっていた。
いったいギザギザハートの何がいいんだ。
ロマンチックが止まらないって、なんやねん。
ギンギラギンにさりげなく、ってどんな俺のやり方や。
ふん。
ほんまに。
カバンをぺちゃんこにした、だぶだぶズボンのツッパリもどきが、廊下を我が物顔で、肩をだらだらと揺さぶって。
校舎裏でうんこ座りになった半人前どもが、束になって、タバコ吸って、ガラス割って、ボヤ騒ぎ起こして。
ほんま迷惑極まりなかったわ。
だいたい、ちっちゃな頃から悪ガキだった奴らは、一体どうなったというんだ。
もう一度出会ったら?
ふん。
決まってるさ。
授業中、ぶんぶんうるさかった銀蠅もどきなぞ、大きなハエ叩きで「いないないばぁー」ってしてやる。
教師は教師で、廊下を走っただけで執拗にこちらをぼこぼこ殴ってくるし。
すべての大人が尊敬できる存在ではないんだということは、あのころ、そりゃもう十分学んだ。
なにもかもがちっとも楽しくなく、話題や教室でいつも浮いたように感じていた私にとって、中学校はそれはそれはかなり難しい場所だった。
高校に入り、それが少し変わった。
新しくできた帰国子女の友人が、音楽なぞにまったく興味をもたない私に、「これすごいよ」とカセットテープを貸してくれた。
ブルース・スプリングスティーン&Eストリートバンド。
そのライブ盤。
名前なんてさっぱり知らない。
だれ、この人。
アメリカでは超有名人だよ。みんなボスって呼ぶんだ。
ふーん。そうなん。でも、音楽興味ないし。
いいから聞いてみなって。
すすめられるまま、勉強の合間、聞いてみた。
そして、そのまま。
あれぇ~っと、ずぶずぶずぅ~。
うひゃひゃ。
なんだ、なんだ。
何が起こった。
日本の歌番組では聞いたこともない弾けたリズムに疾走感。
野太い声。時には語り掛けるような歌い方。
そして突然、走り出す音。
にぎやかで、どんどん盛り上がっていくバックバンドとコーラス。
どきどきした。
一気に駆け抜けていく音楽に我を忘れて耳を澄ました。
私が聞いた、ザ・アメリカというべき初めてのバンド。
歌詞なんかさっぱりわからなかったけど、それでも親に必死にねだってCDを買ってもらい、毎日のように聞いた。
バッドランズはそのころ一番聞いた曲で、今もお気に入りだ。
いまだにどこかで耳朶にふれると、俊ちゃんみたいに、ハッとして、グッとなる。
あれ以来、洋楽かぶれし、雑誌のFMステーションを買っては読んだ。
表紙の、ポップなわたせせいぞうさんのイラストからさらに洋風世界に憧れを増した。
ああ、ボス。
彼を入り口に、見たこともない、行ったこともないアメリカに、心はどっぷり入り込んだ。
アメリカと聞くだけで、心が躍るような気分になった。
ロッキー。
スターウォーズ。
ET。
スタンドバイミー。
ゴーストバスターズ。
映画もいっぱいみた。
なんでも、ただきらきらとまばゆく感じられた。
華やかな繁栄の象徴だ。
ただただ白人たちがみせつける映画のようなアメリカン・ドリームにあこがれた。
懐かしいな。
そんなボスの新作。どんな感じなのだろう。
わくわくしながら聞いた。
が、若かりし頃の華やかさというか、労働階級や社会性をうたい上げた力強さというか、そういったものは一切感じられなかった。
とてもきれいなメロディーの、まったく違う人かと思うくらいの声質が、別の世界を歌っていた。
あの頃の華やかさや野太さはいまやどこにもない。
メロディーはきれいだけど、どこか暗く、冷え冷えとした陰鬱な空気。
ジャケットに映った写真のせいか、雪が積もる前の、枝からすべての葉が落ちた、寂しげな冬の森にいるような感じがした。
ボスも本当に年をとったんだなあ。
一体、何があったんだろう。
最新のインタビュー記事も目にしたけど、やっぱり……そっか。
鬱々した心情がしのばされるような、いままでイメージしてきたボスらしくない実像が浮かんできた。
「彼が再選されたら、おれはこの国を出ていく」
うつ症状を抱えているようなことも書かれていた。
そっか。
はぁ~あ。
でも。
年を取ったのは、なにもボスだけではあるまい。
私だって、それなりに歳をとった。
だって、それが証拠に、あれだけ憧れだった人も、そしてアメリカという国も、いまやまったく魅力的には映らない。
アメリカ映画を見ていても、昔みたいに憧憬を抱くこともなくなった。
洋楽を聴いていても、かっこいいけど……。
なんだか洗練されすぎて…。
テレビをつければなおさらだ。
デモが続き、選挙前のせいか、あきれたような混迷さが、さらに苛烈化している。
うそかまことか、ライフルやマシンガンをもった一般人がミリシアと称して町を警らし、その横で赤や青の看板を持った人々たちがののしり合いをしている。
今にも沸点に到達しそうな勢いで、本気でいがみあっているように見える。
現代のソドムだな、こりゃ。
ほんまかいな。
偽の投票箱がつくられたり、本当の投票箱が燃やされたり。
コロナはどこよりも蔓延し、なのにマスクをつけることでさえ、人権や権利を振りかざして抵抗している人もいるらしい。
おまけに大将は他国のせいばかりにして。
すべてが報道通りではないやろうけど。
でも、やっぱり、略奪や暴動を見ていると日本では当たり前の治安が保障されているとはとても思えない。
どこか映画や漫画みたいな世界にさえ見えてくる。
ここまでアメリカ人のやることは子供じみているのか。
幼子でも信じないようなデマを流しあって、信じさせようとするなんて。
かの国の、選挙前の映像をみていると、いつもだ。
見ていて目を覆いたくなる。
遠い昔、私はこんなイカれた国に憧憬を抱いていたらしい。
うそのような過去だ。
あれほど華やかで繁栄していた大きな背中が、気づけば、くたくたに錆びついて、疲れ切った老人のように小さく丸まってみえる。
考えてみれば、あの頃の私が行きたくもなかった中学校みたいだ。
息苦しくて、なんとも生きにくい場所だ。
そんな場所にはもう二度と足を踏み入れたくはない。
一緒になって、目の前の人間といがみ合いたくはない。
暴力をふるいたくもないし、ふるわれたくもない。
それどころか、こんな国に住みたくもないし、行きたくもない。
平和どころか、治安さえおぼつかないんだぜ。
隣人が、考えが異なるというだけで銃を向けてくるなんて、ほんまに正気の沙汰か。
アホなヤンキーのカツアゲの方がまだましだ。
でも。
冷静に考えてみれば、勝手に憧れを抱いていたあの頃から、もしかしたらこの国の実態は今みたいに根深かったのかもしれない。
そんなこと、あの頃は考えてもいなかったし、思いつきもしなかったけれど。
トップガンやフットルース。
白人同士のばかげた恋愛沙汰にアホみたいに心をときめかせた。
最先端の特撮技術を駆使したバックトゥザフューチャーやET、インディージョンズ。
冒険心満載で、きらきらとした日々にいつも夢を見ていた。
けれど。
それはもしかして、何も知らない、世界の片隅の、この島国人の末端の貧乏心が、乙女のようにくすぐられていただけなのだとしたら。
良いところばかりをテレビや新聞で見せつけられ、実態も知らずに、憧ればかりを抱いていたのだとしたら。
あの頃には、すでに自由や個人主義という言葉の陰に、目を覆いたくなるような偏見や人種間の不平等が底辺でぐるぐる渦巻いていたのだとしたら。
そういえば、そんな気配を何度も感じもした。
だって、マルコスⅩやミシッシッピー・バーニング、プラトーンといった社会派映画を目にする機会がだんだんと増え、いつしか遠くに住む私の目にも、少しずつアメリカの抱える違う側面が見えてきた気がするから。
いま、かの国を、遠い島遠くの岸辺から、再び違う視点で眺めている。
この目に映る、昔、恋焦がれたあの国は、もはや憧れでもなんでもなさそうだ。
私のような、世界の極東端に住む人間からみても、あの偉大だったアメリカは、もはや世界のリーダーとは映らない。
エゴやわがままばかりをごり押しする、まるでジャイアンのような駄々っ子だ。
錆びついていく原因を、時代や他国のせいばかりにして。
そのジャイアンに媚を売り、取り入るようにせっせと一緒にゴルフ場をラウンドしていたのはどこのどいつだ?
なあ、スネ夫。
決して、いつまでも脛をかじって、ジャイアンに右に倣えと追従していく必要はないんだ。
だいたい、威勢良かったあのツッパリどもはどうなった?
だからだよ。
お前、いつまでもパシリでいる必要はないんだ。
はたして。
ジャイアンが再びそこにどすんと居座ろうが、その首とネクタイを青くすげ替えようが、混迷し、深く根付いた人々の対立は鎮まっていくものなのだろうか。
誰がどう見ても、あちこちの地面には、ひどく隆起した膿や、大きく開いた傷穴ができあがっている。
皮膚にできた盛りあがった膿は、切開し、排膿し、やさしく洗浄してあげればいい。
さらに抗生剤でも服用させれば、大抵きれいさっぱりに癒えていく。
けれど、人々の心に抱え込んだ大量の膿はそうはいかない。
そんなものに見事に効く特効薬など、いまだ、どこの製薬会社も病院も開発はしてはいやしない。
怒りや不満、恨み、つらみ、怨嗟……。
そんなやっかい極まりない心の闇は、誰に頼るものでもなく、理性という己の力でコントロールしていかない限り、収まらないもの。
そんな風に危惧するほど、あの社会には根深い病が瀰漫しているように映って仕方がない。
今後も、怒りや不満のデモ、それに便乗した略奪や暴動は繰り返されるのだろうか。
そして生々しく、痛々しいまでの心の闇は、さらに奥深く、孤立したように内へ内へともぐりこんでいくのだろうか。
もう二度と排膿できないほど、心の闇の奥底へ、深く深く浸潤していくように。
そして、これから彼らが進む道にも、ずたずたに分断されたまま痛々しく残る傷が、空爆を受けたかのようにむき出しになっていくのだとしたら。
もしや、膿が破裂して自壊するのを待つしかないの?
いやだな。
そいつは、困るよ。
だって、膿ってさ、信じらないくらいの腐臭をあちこちに漂わすんだぜ。
こっちにまで漂ってきたら、いい迷惑だよ。
ほんま、ほんま。
だってわし、のんびりしたここが好きやねん。
ビール片手に仲間とさ、「あほ。ええかげんにせえや」と半ば呆れながら、わいわいがやがや、センチュリーやサウナをいじっていられる平和な関西がどんなに居心地いいことか。
なんならあの二人、セットで貸したろか。
大統領と副大統領に。
あんたんとこに比べたら、うちらのトップ、かわいいもんやで。
ちゃんと謝るもん。
でもな、ほんま、いっぺんどうや。
うちらの大好きな寛平さんに、あんたんとこの大将、ちぃとばかり血吸うといてもらったら。
そしたら、あんなえげつないモンも、きっとハートウォーミングな人間になれるわ。
まあ、いいさ。
とにかく。
わざわざ太平洋を渡って、漂ってこんといてくれ。
頼むで、ほんまに。
さてさて。
いまや、米を主食とするこの国の末端にいる私でさえ、米国と書くあの国は、あこがれに値する国でも、親近感を抱かせる存在でもなくなった。
米離れが進む昨今、主食や味覚だけでなく、心も、文字通りの米離れが加速しているのか。
そういえば、死んだじいちゃん、ばあちゃんがよう言ってたな。
美味しい米作りをするにはな、労力と時間をかけて、それも丹精をたっぷり込めなきゃあかんのやて。
国作りなら、なおさらやろ。
ましてや、あんたが、聴衆に向かって連呼する、MAGAなる真の偉大な米国作りをしたいんならなおさらだと思うわ。
なあ。
世界に誇るべき姿はどこいった。
ほれ、あんた。
目をかっぽと見開いて、真ん前に広がる大きな票田よう見てみい。
あんたが好き放題に、でこぼこに荒らしたせいで、あちこちで火種がくすぶってるやろ。
もう一度ゆうといたる。
田んぼはしっかり耕し。
ちゃーんと、丹念にな。
なんでって?
あほ。
だってな。
みーんな、こう思うとるんや。
星条旗よ、正常なれ。
永遠という名のもとに、正気を取り戻してくれって。
さあさあ。
何を言っても、愚痴になる。
よってらっしゃい、みてらっしゃい。
いよいよ、今世紀最大のショーの始まりだぁ。
赤組が勝つか、青組が勝つか。
あんたはどっちにかけるだい。
おいおい、そこのお嬢さん、頬を真っ赤に染めてどうしたの。
おいおい、そこの兄さん、顔、妙に青ざめてねえか。
まあ、いいさ。
どっちに転ぶか、どっちが勝つか。
トランプ遊びに興じましょ。
どっちの夫婦が、キングとクイーン。
ハートを引くのはだぁーれだ。
それとも両者にらみ合っての引き分けか。
そこの若いの、下がって下がって。
おいちゃん、どいたどいた。
そこ、ぼおっと立ってねえで、しゃがんでおくんな。
後ろがつかえて見えねぇぜ。
だってよ、あんたたちの背後にゃ、世界あまたの人たちが、いまかいまかとかたずをのんで見守ってんだ。
かの国では、あと5日らしい。
新しい社会が宣言されるそうだ。
そうですか。
でもね、私の目に映るその国の社会像は、よほどのことがない限り、以後も、きっと、それほど変わらない気がするんだ。
ごめんね、ボス。
だって、心が離れてしまったようなんだ…。
親愛なるあなたたちへ。
島国から愛を込めて。
”Goodbye, Badlands.”
2020年10月28日 18:55